2015年9月7日月曜日

【感想】資本主義の、その先へ。『里海資本論』

●井上恭介、NHK「里海」取材班『里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く』KADOKAWA2015年。


前作『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』(2013)が良書だったので、期待して購入。
軽くおさらいしておくと、『里山資本主義』では、「マッチョな経済」の限界を指摘、GDPなどの数字では表せない豊かさを提示してみせた。ただし、タイトルが表す通り、資本主義自体は否定しなかった。あくまで、現行の経済システム(=資本主義)を改善しつつ、マネーに依存しないサブシステムの在り方を、木材などの例を挙げて説明、提案するにとどまっていた。
経済政策を重んじる安倍首相を始め、経済界の人々は憤慨するかもしれない内容だが、「経済ってなんだっけ?」という原点に立ち返るときに、案外重要な視点になると思う。通勤、通学の電車内で読み切れる分量だ。また、文章も読みやすいので、オススメ。


さて、今回取り上げる『里海資本論』について。
まず注目したいのが、タイトル。
『里山資本主義』と『里海資本論』。そう、資本主義から資本論へ、進化したのだ。
「資本論」といえば真っ先に思い浮かぶのが、マルクスやエンゲルスらによる『資本論』だ。資本主義と対立する、共産主義、社会主義などを連想させる用語を、なぜ用いたのか。取材班は、資本主義に見切りをつけたのか?
そうではない。「マッチョな経済」、つまり資本主義のどん詰まりの末に生まれざるを得なかったのが、「里海資本論」だったのだ。
「マッチョな経済」では、経済成長の踏み台として、地球環境を犠牲にしてきた。しかし、人間も地球に住む生物の一種である以上、破壊された自然の中では生きていけない。つまり、地球環境も経済成長も、搾取する一方では、いずれ必ず限界を迎える。資本主義は、限界を伴うのだ。そして、その限界は、もしかすると人類の滅亡、地球の破壊なのかもしれない。
そんな資本主義経済に異を唱えたのが、19世紀のマルクスやエンゲルスであり、21世紀の「里海資本論」である。

「はじめに」で紹介された「里海」「SATOUMI」の学術用語としての定義は、「人手が加わることによって生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」だ。
今作の主な舞台は、瀬戸内海。高度経済成長期に「死の海」と成り果てた瀬戸内海の復活と再生を軸に、話が展開する。
工場排水などの化学物質で汚染された「死の海」を復活させたのは、地元の漁師と水産試験場(現・水産研究所)の研究員ら。廃れかけた伝統の中から、復活の糸口を探っていく。ここで重要なのが、対抗する化学物質を投入したり排水制限したりといった一時的な対処療法で終わらなかったこと。カキ筏やアマモなど、地元の人たちでさえ忘れかけていた伝統的な営みに地道に取り組んできたことこそが、復活のカギとなった。伝統の一部が復活したことにより、連鎖的に昔の記憶が浮かび上がり、人と自然が有機的に関わっていくことになる。特に村上海賊の末裔の活躍ぶりには舌を巻いた。

「里海」「SATOUMI」これら学術用語は、「瀬戸内海生まれ日本発」だという。
なぜ、日本発なのか。
それは、宗教観にも結び付いているという。
資本主義が、キリスト教という一神教を背景に持つことは有名である。そして、科学によって自然を屈服させ、搾取することに違和感を覚えないのも、一神教的発想であることは否めない。
日本人は、ときに「無宗教だ」と言われることもあるが、基本的には八百万の神々を信仰している。山や川、海といった自然を祀り、一粒の米に七人の神々を見る。神々と人間は、自然の中で共存しているのだ。
日本的発想に基づけば、人間も、神々のおわします自然の一員として、自然に働きかけることは悪いことではない。むしろ、自然環境を破壊したのなら、積極的に修復する手助けをすべきなのである。アダム=スミスが期待したような、一神教的「神の手」が修復してくださることはないのだから。


私は、都市に住む人間だ。
遠い親戚で田舎に住む人たちはいるが、交流はあまりない。
だから、『里山資本主義』を読んだときも、『里海資本論』を読み終わったときも、大いに魅力を感じつつも、どこか他人事であると感じたことを、正直に告白しよう。あと、些かユートピア過ぎやしないかと思ったことも。
都市に住み、資本主義を象徴するお金で生活する。食材、水道、光熱、書籍、パソコンなどの電子機器。大学や塾。博物館や美術館。第一次産業品も第二次産業品も第三次産業のサービスも、全部全部お金で買っている。お金でモノやサービスを消費することに、あまりにも慣れ過ぎている。衣食住、全て顔も知らない誰かに任せっきり。これは、生物の生き方としてはとても危うく、もっと言ってしまえば、間違っていると心のどこかで思いつつも、この生活を手放す勇気はない。
それでも、世界の最先端で、こういった動きがあることを知れたことで大いに勉強になった。
本書に出てくる人は、老若男女を問わず、皆元気そのもの。都市で精神が半分死にかけている私には、とっても眩しい。
田舎暮らしって、カッコイイ、楽しそう。
多くの人が本心からそう思い、都市から田舎へ移住する流れが決定的になったとき、日本社会はまた新たな局面に入っていくのだろう。

まだまだ私は、その流れには乗れない。どうして乗れないのかが分かれば、地方創生の微力な一助になる気がする。が、この記事とは関係ないので、今回はここまで。


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