2018年7月25日水曜日

Free! Dive to the Future OP考察など

待ちに待ったFree! 3期!!!
休眠していたブログを叩き起こしてだらだらと書き連ねていく所存。
ほとんど読者のいないブログですが、ふらっと迷い込んだそこのあなた。
しばし私とFree!について語りませんか?嫌でも一方的に語ってますけどね!うふふ


さて。OPを考察してみました。
萌え語りとストーリーの予想がごちゃまぜ。
2話まで視聴済みなのでネタバレあったらすみません。
あと、アニメと映画は見たけど、イベントや雑誌系は見てないので、的外れなことを言ってたらごめんなさい!

さてさて!それではスタート☆




①冒頭、遙登場シーン
・ゴーグルを掴み、ジャージをハンガーから取って羽織る
・ジャージをきゅっと着るとき、僅かだが口許が微笑んでいる
・正面を向き、大きく一歩一歩踏みしめるように試合会場へ
・ジャージが鳶に変わり、大空へ

開始15秒で遙の成長っぷりが伝わる良いOPです…スタッフ様本当にありがとうございます…。
フィジカルの成長は、まあ見た通りで、江ちゃんと再会したときがとても楽しみ。
メンタルもかなり安定しているように見えたので、心身共に最高のコンディションで試合を迎えられた感じか。
遙は超がいくつあっても足りないくらい繊細だから、少しでも不安要素(特に人間関係)があったらあんなに堂々とできないと思う。
よって、郁弥との和解後=物語終盤か、あるいは折り返しくらいか。

ゴーグルやジャージを取る仕草が今までになく荒っぽくてちょっとドキッとした。
もう立派な大人の男だよ…DFはハイ☆スピードとのつながりが強調されているので、余計にそう感じるのかもしれない…。

②大学生の遙、真琴
・図書館で勉強している真琴と、その隣で雑誌(SW…なので水泳雑誌か)を読む遙
・街を歩きながら、飲み物を遙に手渡す真琴

完全に二人の歩む道が分かれましたね。遙は競泳選手の、真琴は教育者の道へ。
旭や、特に郁弥を見ると「一緒に水泳部も辞めたのにね…時の流れは残酷ね…」とついつい呟きたくなってしまう意地悪でごめんなさい。
飲み物を手渡すシーンは、いつも通り甲斐甲斐しい真琴が見られてほっこりしたけど、そういえば1期ではくっついているソーダアイスを半分に分けてたよなあと思い出した。
些細なことだけど、距離が出来たようで寂しい。
(個人的には、ブラックコーヒーであってほしい)

③大学へバスで向かう郁弥と日和

郁弥の服が気になる…そのカーディガンの色、遙っぽくないですか…

④オーストラリア組登場
・凛と夏弥が合流

凛と夏弥が、共通の知人である遙をめぐってどんな会話をしていくのかが楽しみ。
2話時点では、夏弥と郁弥は仲が良さそうだが(郁弥はブラコンこじらせていたくらいだからな…)、果たして平和に終わるか?兄を乗り越えるか?

⑤岩鳶高校組登場

みんな可愛い!
江好みの筋肉マッチョはいませんでしたね…

⑥ハイ☆スピード(中学時代)
・遮断機の間で膝を抱えて俯く遙
・黄昏時、向日葵畑で、涙と共に振り返る郁弥

遙と郁弥の、未だにわだかまる心象風景か。
どこにも進めず止まっている中学時代の遙。
凛との決別後、旭との別れ、郁弥とのすれ違いで多くのことを抱えていたけど、1期やESで仲間やライバルと共に過去と決着をつけてきた。
だから、遙は、仲間を頼ることを覚えたので、何かあってももう大丈夫だろう。遙が弱音を吐くシーンを見たい…。
むしろ、郁弥が過去とどう向き合うのかがDFの見所になってくるか。1期の遙のようだけど、違うところももちろんある。
混合メドレーをやる=全部自分で背負う覚悟をしている。
この覚悟の意味を変えていくのがテーマになってくるか?
あと、日和。君大丈夫かね。郁弥以外に友達いる?郁弥は日和の様子がおかしいことに気づけるくらいには長く一緒にいるみたいだけど…

しかし、向日葵畑の郁弥で作画班に愛されているよなあと思ったが、2話の流星群を見上げるプールのシーンで、監督はじめ全てのスタッフに愛されているのだと確信した…
郁弥のシーンはどうしてこうも美しいのか…作画だけじゃない…絵画的な美しさ…

・離れていく岩鳶中学リレーメンバー

真琴は俯いたまま動かず(それでも前を向いてはいる)、遙・郁弥・旭はバラバラの方向へ歩き出す。
郁弥が後ろに向かっているのが気になる。
1期は、岩鳶SCのメンバーでリレーを泳いで(失格になって)フィナーレだったが、
ESは、岩鳶高校と鮫塚学園の今の仲間と泳いだ。
では、DFはどうなるのか?
岩鳶中学のメンバーでリレーを泳ぐことはないだろう。
そもそも真琴が水泳を辞めたし、旭が貴澄とドライブデートしているところをみると、実力差が相当出たのだと思われる。
2話で国木田歩が言っていた「全日本選抜」に行くとしても、多くて遙と郁弥の二人ではないだろうか。
ちなみに、「全日本選抜」は岩鳶中と遙が同じチームになる伏線ではなく、遙と郁弥が同じチームで泳ぐための伏線だと思っている。。

⑦プールで召喚魔法をしている遙

普段は大人しい遙だが、ESでロッカーを殴りつけたこともありました。あのシーンは前後の流れ込みで好きだったな…
しかし、水が暴れるくらいに叫ぶほどのことってなんだろう…

⑧鮫塚学園組
・現役の水泳部員に笑顔で左手を挙げる宗介

左肩はどうなったのかな…ES最後まで見て、やっと好きになったんだ…
ESの宗介のポジションがDFの日和になると思うが、どうだろう。

⑨貴澄と旭のドライブデート

貴澄はともかく、旭はどうなるのか。
おそらく、旭は上の大会に個人でもリレーでも行けなかったのだろう。
改めて、ハイスピの「来年もこのメンバーで泳ごう」は永遠に果たされない約束となったのだと予想。

そうなると、DFのメインテーマは「遙と郁弥の決着」だろう。まあこれはハイスピや映画でなんとなく分かっていはいたけど…
物語の落とし所としては、
・遙VS郁弥の直接対決 =過去の清算(約束と裏切り)
→約束では「フリー」対決だが、混合メドレー対決もありか。
・「全日本選抜」のメンバーとして、遙と郁弥がチームメイトになる(そして同じリレーメンバーになる)
凛は1期で既に遙と同じチームで泳いでいるので、オーストラリアチームのメンバーとして出てきそう。
(そして郁弥とブレ対決したら面白い)
夏弥がどうなるかな…

⑩雨の中、一人佇む日和
・人魚のしっぽ(?)は1期EDの遙人魚?
・日和の瞳に映っている少年は郁弥?

ESの宗介のポジションだと確信。
郁弥と親しくしているけど、郁弥の気持ちは遙に向いている…
日和もなんだかんだ言って遙を認めるようになるのか…劣化版とか言っていた気がするが…





1話毎に語りたいことは山よりも高く海よりも深くあるけど、ブログになるかな…
いずれにせよ、第3話は明日だ。生きよう!!

2016年2月6日土曜日

平成と昭和は断絶しているのか。

おそ松さん、ヤングブラックジャック、コンクリート・レボルティオ。
2015年放映のアニメで印象に残っている作品だ。
これらに共通する点は、ずばり「昭和」。
軽く振り返ってみよう。

・おそ松さん
言わずと知れた、赤塚不二夫「おそ松くん」を原作としたアニメ。その作風はギャグをベースとした社会風刺、と見せかけたシュールレアリスム。サブカルネタにオマージュやパロディたっぷり、情報過多気味。良くも悪くも、社会影響力の大きい問題児。
「おそ松さん」をきっかけに、モノクロの昭和版「おそ松くん」を見たのだが、まあビックリ、物乞い(デカパン)や戦争孤児(チビ太)が普通にいて、普通に舞台装置として機能しているのだ。これ、平成生まれにはかなり衝撃的なことだ。そりゃあ、地元にはホームレスのおじさんやおばさんが堂々と地下通路に寝転がっているけど、「右や左の旦那様、お恵みを」なんて言わないもの。存在は認めつつも、なんとなく、「見えないもの」として扱ってしまっているのだ。五十代の親にこの話をしたら、昔は傷痍軍人が神社やお寺にいたそうな。一世代の間に随分と変わったのだな……。
我が家のジェネレーション・ギャップを埋めてくれているのが「おそ松さん」だ。下ネタや腐ネタをぶっこんでくるのが(親と見るときは)ちょっと困るが、その暴れっぷりは「もっとやれ」と言いたくなる。

・ヤング ブラック・ジャック
手塚治虫「ブラック・ジャック」の前日談的位置づけ。舞台は1960年代後半。大学闘争やベトナム戦争がガッツリ絡む。アメリカの公民権運動もやっちゃう。その時代の人々が持っていた暴力的なまでのエネルギーに唖然とした。そういう歴史を辿ってきていることは教科書や資料集を読んだから知っているけど(授業だと駆け足になる単元だ)、アニメで見せられるとかえって生々しい。

・コンクリート・レボルティオ~超人幻想~
秋クールに放映されていたのだが、あまり話題にならなかった作品。2期(2016年春クール)放映が決定したので、機会を捉えたら是非見てもらいたい。
現実世界とは異なる歴史をたどった舞台、人間の他に、超人や魔女、妖怪に宇宙人と雑多な存在が共存している。作品内では年号がポイントになるのだが、その元号は「神化」といい、現実世界の「昭和」とリンクしている。
テーマは、「正義/自由/平和」。安易な勧善懲悪モノになりがちなテーマを、よくぞここまで深みのある話に仕立て上げられたと思う。一つ一つは素晴らしい理念なのに、複数の勢力が入り乱れることによって、容易に三竦みになってしまう価値観。「正義/悪」「自由/抑圧」「平和/戦争」はそれこそ冷戦までは成立させることができていたが、現代では難しい。価値観が多様化した今だから描けたのかな、と思ったり思わなかったり。
各話で取り上げられる事件は、現実世界で起こったものが多いようだ。また、特撮ネタやオマージュ、パロディ満載らしいが、平成生まれでサブカルにわかの私にはほぼ分からない(さすがに最終話の広島のゴジラネタは分かった)。まとめサイトなどで元ネタを教えてもらってやっと合点がいくことばかり。少年心をくすぐりつつも、いろいろ考えさせられる。円盤を買おうか迷う、何度も見返したい作品だ。

さて。
平成と昭和は断絶しているのか。
昭和は敗戦という大きな出来事があったので、この問は相応しくないか。
それでは、問いを変えよう。
敗戦後の昭和と平成は断絶しているのか。

していないだろう。天皇こそ代わったが、国家体制に大きな変更はなし、一応戦争もしていない。
だけど、戦後70年を過ぎ、平成も四半世紀以上を経た今、なにか時代が変わってきている気がするのだ。平成世代が言うのも妙な話だが。
平成も28年になり、そろそろ若手クリエイターが台頭する頃だ。戦後を知らない世代、バブルすら知らない世代。日本人だって暴動することを知らない世代。爆発的なエネルギーを皮膚感覚で分からない、平成生まれが作る作品はどうなっていくのだろう。今まさに脂がのっている人たちは、昭和の人たちだろうが、彼らの後継者は果たして何を想い、何を作っていくのか。エネルギーの総量と実際に放つ量は減っていくのだろうか。

YBJとコンレボの露骨な「反戦・反米・反体制」が堂々と放映できるし、やりたい放題のおそ松さんも自粛する気ないみたいだし、日本のメディアももうしばらく大丈夫なのかな。


しかしまあ、アニメって教養を要求されるんだと思い知らされた2015年だった。
歴史にサブカルに、文学などハイカルチャー的な諸々。おそ松さんのF6に至っては声優ネタも仕込んできたし。CRただいまとかアロマ企画とか、ググって苦笑いしか出てこない小ネタもあるし、クリエイターの頭の中ってどうなってんだよ。



あー、ちなみに。
2015年、地味に好きだったのはスタミュ。最初はネタで見ていたけど、青春モノとして面白かった。
登場人物がみんないい人ばかりで不安だったが(捻くれ者やクズ、アクの強い人が好き)、爽やかボーイズばかりで一周回って全部受け入れられた。暁先輩だって、行動原理自体は、悪意もあってないようなものだし。理事長はいただけないが前面に出てこないし。
女子力高い優男の那雪が喧嘩っ早かったり、戌峰がマジで犬だったり、チャラ男の虎石が苦労人だったり、ラスボス感漂う辰巳が凄くいい人だったり、月皇と天花寺のくだらないやり取りだったり。ありがちかもしれないけど、丁寧で信念があっていいなあと思った。
そして、なによりも、音楽!キャラソンもミュージカル寄りの楽曲も、良かった。
2期、やってくれないかなあ……。

2015年12月31日木曜日

年松、門松、おそ松!

ご挨拶(呪)

2015年も残すところあと5時間となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、私にとって本年はクソ忌々しい年となりました。

苦戦した就職活動、出ないやる気、二度目の留年決定。

堕ちるところまで堕ちた年でした。

そして、トドメがこれ。ここ二、三年比較的良好だった親子関係が、年末に来て悪化しました。
正面衝突です。いや、両親は衝突しようとしたのですが、私は逃げました。
私にだって、言って良いことと悪いことの区別くらいはつきます。
真面目な発言と厨二発言の線引きはイマイチ分かりませんが。

まあ全部ぜんぶ、あれもこれも私が悪いのです。
……思考停止でもしないと、自我を保てません。

アニメの話

・東京喰種√A →なんだかんだできちんとオチがついた、気がしないでもない。
・黒子のバスケ3期 →お疲れさまでした。OP, EDから気合十分!で良かったです。
・デュラララ!! →臨也が鍋パにハブられたあたりで挫折。

・血界戦線 →最後、ザップに弱音を吐くレオがよかった。
・響け!ユーフォニアム →さすが京アニクオリティ。青春モノとして良かった。

・青春×機関銃 →早々に挫折。主人公の声は良かった、気がする。
・オーバーロード →モモンガ様TUEEEEEE
・六花の勇者 →中南米っぽいデザインが気に入り、原作のラノベを購入。予想を裏切る展開で一気読みした。
・赤髪の白雪 →手に職を持った毅然とした少女は素敵や……。
・GOD EATER →分割1クール?様々な伝説を生み出したが、作画が素晴らしかった。
・乱歩奇譚 →仄暗い雰囲気が好きだった。新宿の焼身自殺を思わせる演出は衝撃的だった。

・ヤングブラック・ジャック →ベトナム戦争が重苦しい、面白いけど辛い話だった。
・K RETURN OF KINGS →伏見猿比古と八田美咲の和解シーンと最終話EDがよかった。BGMが好きだった。
・ハイキュー!!セカンドシーズン →かわいいよ谷地さん!潔子さんは相変わらずお美しい……。野郎共は青春してんな!
・スタミュ →綾薙ショウタイムでギャグ枠だと思ってたら意外と真面目な話だったでござる。クマシュンと海斗君推し。那雪が割と脳筋でワロタ。
・ワンパンマン →サイタマァァァァァァ!
・ノラガミARAGOTO →ひよりん大正義!
・おそ松さん →本年最大のダークホース。来年も期待してます。

以下雑感。

2013年頃からアニメを視聴し始めたにわかなので分からんのだけど、昭和を彷彿させる作品が目だった気が。
ヤングブラックジャック、ガンダム、乱歩奇譚、おそ松さん。セーラームーンはぎりぎり平成か。
単なるネタ切れなのか、昭和回帰なのか。分からないけど、まあ平成生まれには逆に新鮮に映るので面白いです。

黒子のバスケ、本当にお疲れさまでした。そして感動をありがとうございました。
3期の帝光編は見てて辛かったけど、虹村先輩が格好良かったのでなんとか持ちました……。
しかしそれにしてもOPの気合の入り方が半端なかった。

血界戦線はお洒落だったなあ。10.5話はニコ動で繰り返し見ました。OPとEDの入り方が秀逸だった。
お洒落と言えば、K RETURN OF KINGS。1話の冒頭は未だにBGM代わりに聞いてます。伏見猿比古の歪んだ友情が切なかった……それだけに、最後はお互いに成長して理解し合えてよかった。

おそ松さんは毎週笑わせてもらいました。放送話毎に老若男女が意見を表明して侃侃諤諤の議論、それもかなりまともな意見が多くて、放送外でも大いに楽しませてもらいました。また、平成生まれには分からないネタを教えてもらったりして、勉強になることもありました。


来年もよろしくお願いいたします。(祝)

NHK紅白歌合戦のカオスっぷりに唖然としながら2015年を終えようとしております。
それにしても節操ないなあ。
だけど、思い切りが足りない。アニメメドレー(?)は意味不明だった。そしてどうせ赤塚先生を出すならバカボンじゃなくておそ松くんにすればよかったのに。チキンめ。
ディズニーが出てきたときはドン引きした。スター・ウォーズが出てきたときは溜息しか出なかった……いくらディズニーに買収されたとはいえ、あんなんでいいのか。

今年はいろんなことに縛られた一年だったので、来年はNHKを見習ってカオスを振りまいて生きようと思います。できたら。

それではみなさま、よいお年を。

2015年12月2日水曜日

情報化社会と思考/感情の外注

最近になってアニメを見始めた、いわゆる「にわか」なので的外れな意見があったらすまない。
あーあ、こうやって先に保険を掛けておく方法、あまり好きじゃないんだけど炎上しても面倒だし……。建設的な意見や議論は好きなんだけどさ。
というわけで、今回の記事は「情報化社会におけるアニメ鑑賞の方法」をテーマに書こうと思う。

ぼっち(物理) or リアルぼっち~それが問題だ~

さて、みなさんはどのようにアニメを見ているだろうか。
1. 一人でリアルタイムor録画?
2. それとも、リアタイで実況板やツイッターを見ながら?
3. あるいは、ニコニコ動画などでコメント付きで見てる?

2.や3.を選んだあなたには「ファッションぼっち」の称号をあげましょう。ヒヒヒ
物理的に、つまり生身の人間とは隔絶しているかもしれないけど、精神的には名無しの誰かと繋がっているのだから。それって悪いことじゃないと思うの。本当にヤバくなると、ネットにアクセスすることも億劫になるからネ。誰か、ではあるけど誰でもない。そのくらいの希薄な、関係とも呼べないような人間関係っていうのも悪くないわよねェ。

ちなみに、私は断然、1.派だ。
一回目はコメントなしで視聴、その後に某まとめサイトでみんなのコメントをチェック、面白ければニコニコ動画でコメント付きで視聴する。
なにはともあれ、まずは真っ新な状態で視聴したい。
エンタメや創作物と向き合うときの楽しみや喜びとは、何か未知のものに出会えるところにあると考えているからだ。
だが、どうもそうではない人が一定数いるらしい。
楽しみ方は人それぞれだが、少し違和感を覚えることがあった。

過度な情報は主体性を失わせる。

「おそ松さん」9話を視聴した。
Aパート「チビ太のおでん」もいろいろ面白かったが、ここでは取り上げない。
問題は、Bパート「十四松の恋」だ。
ニコ動はまだ配信されていないので詳しくは書かないが、かなり解釈の幅を持たせた話だった。
ツイッターや某まとめサイトのコメント欄では様々な意見が飛び交うのもむべなるかな。
だが、中にはちょっといただけない暴言や暴論があった。

特に議論になっているのは、女の子とAV、そしておそ松の行動についての解釈だろう。
私は、初見時は素直に解釈したが、ネット上の意見を拾っていくうちに、別の解釈を知ったり、放送時に見逃したことに気付いて補完したりした。
このように、アニメを能動的に見る人もいれば、ぼーっと受動的に見て、適当にネットの意見を拾っておしまい、という人もいる。
必ずしも後者が悪い、とは言わないが、私からすると何が面白いのかが分からない。ふぃーりんぐ的なさむしんぐ?

だって、ネットに転がってる意見なんてそれこそ掃いて捨てるほどあるもの。

ここで唐突に社会批判をすると、情報化社会の到来で、私たちは思考/感情の外注ができるようになったのだ、と言える。
インターネットには、様々な情報が溢れている。のみならず、様々な感情も溢れかえっている。
小説の感想、映画の感想、修羅場の実況、悲痛な思い……
それらは、とても個人的なもののはずなのに、ネットに書き込まれた瞬間、消費されるもの(この言い方が嫌なら、共有されるもの、か)として個性を失う。そして、唯一無二の存在であるはずの書き込み主は、名無し、あるいはハンドルネームに成り下がるのだ。
消費、あるいは共有された感情は、まとめサイトやリツイートを通して増幅され、拡散されていく。その末に、ネットサーフィンをしている人に拾われて受動的な消費の補完として取り込まれる。
そう、誰かが何かを書き込んでいる限り、私たちは何かしらをネットから得ることができる。情報も、思考も、感情も。
拾って来たものを適当に組み合わせて提示すれば、いっぱしの評論家気取りの一丁上がり。評論家っていうか、編集者っぽいけど。無個性な編集者って、ダメだと思うけどね。

話を戻す。
「十四松の恋」の解釈を巡る議論で覚えた違和感は、自分で考えた形跡のない似通った意見が多かったこと、多様な解釈を認めない不寛容な意見が目についたこと、だ。
もちろん、ハッとするような良い意見や感想もたくさんあった。それでも、不寛容な意見が目についたことは残念であった。

馬の耳に念仏、愚か者の眼に正論。

ところで、先程の「ファッションぼっち」の件、みなさんはどう感じただろうか。
もし私が読者だったらかなり不快だ。
口調はウザいし、ヒヒヒ笑いもウザいし、上から目線だし。
でも、だからといって実際に脊髄反射のように「ウザい」とか「酷い」とか「悪口反対!」とか書き込むわけにはいかない。

一度、受け止めて、自分の頭で考える。

考えた上で、許されざる暴言だと思うならその旨を理性的に指摘するべきだ。
これが、表現・言論の自由が保障された場で発言するための最低限のマナーだと思うのだが、守れていない人が悪目立ちしていて困る……。

2015年11月25日水曜日

a rural fantasia イナカ・幻想曲

11月の上旬、ニコニコ動画にて、2014年夏クール放映アニメ「ばらかもん」の無料視聴キャンペーンがあったので、1年ぶりに視聴した(現在は第1話のみ無料、他は有料)。

半田先生イケメーン
なるちゃんかわいいーっ
というか島の女の子たちかわいすぎかー
ヒロシいい奴だー
島の人たちいい人ばかりー
大先生渋いー
奥さんチャーミングううううう
川藤かっこいいー
神崎憎めないー
………
……

うおおおおおおお五島列島に行ってみたいいいいいい
あ、五島列島って一般常識レベルで有名な土地らしいですね。
知らなんだ。
「五島列島って知ってる?」とドヤ顔で聞いた相手が家族で良かった。
他人様と話すときにドヤ顔するのは止めよう、今回は身内でタスカッタ。

というわけで、突然のマイブーム「ばらかもん」。
漫画を衝動買いした。アニメ放映分以降だけだけど(大人買いするにはまだ若過ぎるのさ……)。

書店で数冊ずつ買い込み、
乗車率250%超の電車に揺られて読む「ばらかもん」は一服の清涼剤。
ああ都会の冷たく荒んだ人間関係とは大違い、田舎は温かくていいなあ……


……旅行する分には。
自分が住めるとは思わないけど。

埋め立て地の砂場で遊び、ポケモンゲームに熱中し、こどものいえをバタバタ走り回ったもやしっ子。
おスポーツはおスクールでおテニスにおスイミングだった都会っ子のミー。

親戚の家が文字通りド田舎で、そこで数日厄介になったときに言われた一言。
「町の子は使えん」
碌に手伝いもせず野良仕事もせず使えないと。おっしゃるとおり。さーせん。
もうね、精神構造(メンタリティ)が違うと思いましたよ。
コミュニティは小さく閉鎖的。働き者ばかり。常に人がいる。
そう、常に人がいるのだ。
そして、絶え間ない噂話。
プライバシー?なにそれおいしいの?
そんな人たちと、よそ者であり「町の子」である私は相容れるのだろうか……
まあ当分は田舎に暮らす予定はないからいいけど。

田舎讃美歌をBGMに、国や地方自治体は老若男女を都市から田舎に送り込もうとしてるけど、私は結構懐疑的だ。
断っておくが、決して田舎を下に見ているとか都会の方がいいとか、そういう主張をしているわけではない。
私は幼少期、埋め立て地で育った。
川と言えば「せせらぎ」と名付けられた申し訳程度の噴水と流れる水のこと、蝉も碌にいないような人工的な環境で育った。だから、歴史や伝統、豊かな自然がある地上都市や田舎に憧憬を抱いている。
ただ、祖父母の代で上京、それ以来我が家は本家筋はおろか分家筋ともほとんど接点を持っていない。たった二世代の間に、密な人間関係に臆する、やわな町の子(と言っても政令指定都市に成り損ないの地方都市だが)が生まれてしまったのだ。
そんな世代が、田舎で上手くやっていけるのかな。あ、おまえみたいなコミュ障じゃなきゃ大丈夫だって?うん、そりゃよかった。心配して損したわ。


何が言いたいかって言うと、「ばらかもん」ってとても素敵なファンタジーだよねってこと。




しかし、一番のショックはなんといっても、半田先生と同い年だったってことだ。
まじかー
半田先生23歳かー
私とは人生の濃さが違うなー
最初は、悩める天才かと思ってたけど実際は努力の塊だってことが明示されてから話がどんどん面白くなってきてる気がするぜ。

2015年11月14日土曜日

【考察】平成風昭和的世界観「おそ松さん」


2015年秋アニメの問題児、「おそ松さん」のOP曲「はなまるぴっぴはよいこだけ」が公式リリースされた。
あの音ゲーっぽい音楽とナンセンスな歌詞、そしてサイケデリックなPVで、中毒になった視聴者も多いだろう。私も、アニメは毎話OPを飛ばさずスマホもいじらずちゃんと見ているクチだ。
さて、気になる「はなまるぴっぴはよいこだけ」Full ver. だが……。

狂ってやがる。

いやホントに。TV ver. のナンセンスさはあくまで放送用ということか。パッと聞いて意味が分からないのに、歌詞をじっくり見ていくと、背中に冷たいものが走る。アニメの世界観を表すのがオープニング主題歌だとしたら、現在進行形で私たちが視聴している「おそ松さん」は、実は私(たち)が認識しているものとは全然違うんじゃないか。
ただのナンセンス/シュールギャグアニメだと思っていたけど、もっとキツイ、ブラックジョークのアニメな気がする。そしてそれは、見返せば第1話から周到に伏線や布石が準備されていたのではないか。

復習

というわけで、アニメ「おそ松さん」1クール目が折り返し地点に来たので、復習がてら振り返ってみる。
伝説()の第1話と、第2話以降に話を分ける。

第1話について。

DVD未収録とネット配信停止を発表、視聴者をアッと驚かせた問題作。
主に女性ファンのツボを見事に突きつつそれ自体をネタとするハイセンスさを見せつけつつ、これでもかとパロディを詰め込んだ二十数分間にはツッコミどころはたくさんあったが、ここでは『進撃の巨人』のパロディのみ取り上げる。

巨人と化したチビ太に、おそ松が「よう…27年ぶりだな…」と呼びかけるシーン。
視聴した当初、この「27年」は、「おそ松くん」アニメ2期放送開始の1988年から27年ぶりの放送を指していると思っていた。が、どうにも違和感が拭えない。というのも、その直後のチョロ松のセリフ「微妙なワードを使わないで!」と微妙に噛み合わないのだ。(え、年数がキリ番じゃないってこと?30年ぶりだったら良かったの???としばらく首を捻った)

そこでネットをふらふらとしていたら見つけた、「おそ松くんの最終回が後味悪すぎる件」。複数の2ちゃんねるのまとめサイトに載っているのだが、画像が正しければ「少年サンデー」に掲載された「赤塚不二夫『あのキャラクターは、いま!?』」によれば、どうやら六つ子をはじめ主要キャラクターはほぼ死んだらしい(チビ太は死ななかったようだが)。そして、「あれから27年もたったのか……」というセリフがある。
いささかこじつけめいているのを承知で書けば、アニメのチョロ松のセリフは、放送時期ではなく死亡時期を指している、と考えた方が自然だ。また、そう考えれば、アニメ2作目で10代だったであろう六つ子が現在20代であることにも整合性がある。
また、トド松の「大丈夫、(赤塚先生は)もう死んでいるから」というセリフ。これがただの不謹慎ギャグなのか、登場人物が既に死んでいることの示唆なのか。

余談だが、私は第1話のDVD未収録は最初から仕組まれたものだと思う。
著作権とか下ネタとかだったら、明らかに第3話の方がマズい(から実際に一部差し替えになった)、不謹慎ネタはフジオプロ側からの提案だったらしいし。
さらに、大方「おそ松くんの最終回が後味悪すぎる件」も関係者が意識的に流した情報だと思っている。そして、考察を促しつつ掌の上で踊らせようって魂胆なんだろう。フッ、大いに踊ってやるぜ。だから第1話の再配信をどうかお願いしやす!
DVDに収録される予定の完全新作アニメーション。この作品の世界観を提示するような話になるのだろう。なかなかにショッキングなものになるかもしれん。

第2話以降について。

BS放送で修正の入った第3話、一部のカラ松ガールがモンペ化した第5話など現実世界に 実害 影響を及ぼしつつ話が展開している。実に楽しいよ。

さて、アニメ「おそ松さん」はSF(すこしふしぎ)な手法で製作されている。

まずは、ベースとなる世界観がある。これは現時点では不明だ。
そして、固定された設定がある。松野家の基本スペック(家族構成、六つ子の性格など)や、主要キャラクター(含・聖澤庄之助)。

以上を前提とした上で、各エピソードが1話(あるいは1放送分)完結で繰り広げられていく。イヤミの栄枯盛衰っぷりや、デカパンがブラック工場の社長になったり博士になったり、大騒動を巻き起こしたエスパーニャンコが次の話では全く出なかったり、というのは(本来の意味とはややずれるが)「スターシステム」の描き方と見る。

……ここまで書いていて気付いたが、各エピソードは完結してはいるが、独立はしていなかった。おそ松が競馬に勝つエピソードやブラック工場など繋がりはある。もしかしたら、あのブラック工場は、ハタ坊が所有してデカパンが監督を務めイヤミが末端の社員でアルバイトを家畜の如く使役していたところなのかもしれない。そして、六つ子が脱走したからイヤミはクビになったのかもしれない。
ということで、第2話以降については保留。最終話まで全て見ないと分からない。今後に期待。


昭和64年/平成元年

ところで、平成生まれの私にとって、昭和は完全な過去だ。歴史の教科書の世界だ。

しかも、バブル崩壊後に生まれた世代。高度経済成長期を生き残った「古き良き日本」なるものが、泡銭のジャラジャラという音と共に破壊された後に、ノスタルジーと共に美しくも歪に再生産された「昭和ライクなもの」を昭和を知らぬまま消費している。つまりなにが言いたいのかと言うと、私にとって(そしておそらく私たちの世代にとって)昭和はファンタジーの世界なのだ。

そんな昭和を代表する漫画をリメイクした、アニメ「おそ松さん」。

随所に仕込まれるネタは紛れもなく平成のものだが、作品全体の根底にある世界観というか精神は、昭和である、と感じる。時折見せる、「理解不能」なギャグの一抹の不気味さは、平成にないものなのか、単に私が普段ナンセンスものを見ないせいなのか……。


と、このように薄らと感じていた不気味さが、「はなまるぴっぴはよいこだけ」の歌詞をきっかけに、一気に増した。
もうハッキリといってしまおうか。
私は、「おそ松さん」は「おそ松くん」と同一キャラクターではない、と疑っている。
フグを食べた時に世界線を移動したのか、デカパンあたりが作った身代わりロボットなのか、はたまた壮大な夢落ちなのか(だとしたら誰の?)、そこまでは分からない。
歌詞で繰り返される「新型ギミック」からして、新しく作られた仕掛け/機械なのだろうか。「時限式カラミティ(災厄・惨事・疫病神)」というのも気になる。


とか言ってー
こういう考察を一気に水の泡にするのがギャグ作品の恐ろしさよ……。
でも、今までの話を見る限り張った伏線はきちんと回収しているし、丁寧な作りだから、もう何があっても納得できる気がする。

ただ、カラ松が参謀役だというのは未だに分からん……ただの不憫な次男でしかない。
第1話の格好良いカラ松はどこにいったのだ。
むしろ、カラ松のキャラが違い過ぎて第1話が配信停止になった説。

もどれない?嗚呼 かえれない?嗚呼


今年の夏は江戸川乱歩没後50年を記念したアニメ「乱歩奇譚」もあったし、政治でも昭和以来のゴタゴタもあったし、なんとなく全体的に昭和回帰なんですかね。先行き不透明だしね。

アニメ「おそ松さん」。2クール決定おめでとうございます。
全25話で、どう話を着地させるのか、とても楽しみだ。
ブラックジョーク路線で行って欲しい、むしろバッドエンドでもいいくらいだと思ってる。
視聴者の心に傷を残すぐらい、ありきたりの良いお話なんかじゃない、振り切れた最終回が見たい。
だって、
「この世に要るのはよいこだけ」
なんでしょ。
あのクズニートたちやイヤミや扶養家族選抜するような親や人の頭や尻に旗をぶっ刺そうとする友達は「この世」に「要る」のかな。あはは。

BGM
# A応P「はなまるぴっぴはよいこだけ」
# [Remix]はーこーぴっぴはよいこだけ Full Version【おそ松さん】 by 亜九静

2015年10月30日金曜日

捨てられた僕は。『いなくなれ、群青』

河野裕『いなくなれ、群青』新潮社、2014年。


新潮文庫NEXより昨年刊行されたキャラクターノベル。
出版社と書店がかなり力を入れて売り出したこともあり、一度は表紙を目にした人も多いと思う。
そして、つい最近、シリーズ二作目である『その白さえ嘘だとしても』が発売された(お茶の水の三省堂でうず高く積まれていたのは圧巻だった)。

「キャラクターノベル」を標榜するだけあって、主人公の七草をはじめ、各キャラクターの「キャラ」が丁寧に作り込まれている。今回は七草と真辺宇由にスポットが当てられているが、巻を追うごとに他のキャラクターの掘り下げが進められることに期待したい。

さて、「高校生」、という生物的に子どもから大人へと移行していく時期は、人間的にも一大転機を迎える時期でもある。
表面をなんとか繕いながら、内面の激動とどう折り合いをつけていくのか。
日本の多くの16歳から18歳は両親や学校に守られながら、この繊細極まりない時期を過ごす。
現在、日本には差し迫った外患は無い。無いことになっている。憲法違反の法案を巡って国会や各地で紛糾しているが、基本的には平和な日常を過ごせている。だから、内面のドロドロとした感情に向き合わざるを得なくなるのだ、と思う。
誰もが抱える、もやもや、いらいらした感情を勉学やスポーツ、あるいは学校行事に上手く昇華できれば万々歳、スクールカーストの最下層は免れる。
ここでうっかり妙な趣味――マイナーなもの――にハマってしまえば、学校生活のと雲行きがちょっとばかり怪しくなる。……正直、その時々のクラスメイトによるのだけど。このへんの話は、朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』が実に上手く描いているので、ここではこれ以上言うまい。

「高校生」。
まだ高校生になってないお嬢さんや坊や、なんだか変に期待してない?
今まさに高校生の君、毎日充実してる?
かつて高校生だったあなた、もう二度と戻れない三年間は、楽しかったですか?
私は、どうだったかな。今となっては最高の日々だったと思っているけど――。


ところで、この作品で一番印象的だったのは、「透明感」と「色」だ。
だからかな、百万回生きた猫のトマトジュースが、やけに鮮やかで印象的だった。まるで、血のようで……。


以下ネタバレ。


そろそろ内容についてコメントしようか。

「階段島」の住人は、捨てられた存在である。
成長の過程で、自分自身に「いらない」と切り離されてしまった人格の一部分。
だから、登場人物は皆、どこか過剰なのだ。尖っている。幸か不幸か、島の住人は、お互いの過剰な部分を「個性」だとして受け入れている。そこに少しだけ救われた気持ちになる。それと同時に、ラストの七草の心情を考えると、果たして彼らは幸せになり得るのだろうか、と不安になる。このシリーズの「ハッピーエンド」は、一筋縄ではいきそうにない。まあバッドエンドは好物なのでどちらでも構わないけど……。

それにしても、「キャラクターノベル」とはよく言ったもので、いかにキャラを立てて物語を紡いでいくのかが楽しみである。「キャラクターありき」とは言わないまでも、キャラクターが最大限魅力的に動けるような作品になって欲しい。