2015年11月25日水曜日

a rural fantasia イナカ・幻想曲

11月の上旬、ニコニコ動画にて、2014年夏クール放映アニメ「ばらかもん」の無料視聴キャンペーンがあったので、1年ぶりに視聴した(現在は第1話のみ無料、他は有料)。

半田先生イケメーン
なるちゃんかわいいーっ
というか島の女の子たちかわいすぎかー
ヒロシいい奴だー
島の人たちいい人ばかりー
大先生渋いー
奥さんチャーミングううううう
川藤かっこいいー
神崎憎めないー
………
……

うおおおおおおお五島列島に行ってみたいいいいいい
あ、五島列島って一般常識レベルで有名な土地らしいですね。
知らなんだ。
「五島列島って知ってる?」とドヤ顔で聞いた相手が家族で良かった。
他人様と話すときにドヤ顔するのは止めよう、今回は身内でタスカッタ。

というわけで、突然のマイブーム「ばらかもん」。
漫画を衝動買いした。アニメ放映分以降だけだけど(大人買いするにはまだ若過ぎるのさ……)。

書店で数冊ずつ買い込み、
乗車率250%超の電車に揺られて読む「ばらかもん」は一服の清涼剤。
ああ都会の冷たく荒んだ人間関係とは大違い、田舎は温かくていいなあ……


……旅行する分には。
自分が住めるとは思わないけど。

埋め立て地の砂場で遊び、ポケモンゲームに熱中し、こどものいえをバタバタ走り回ったもやしっ子。
おスポーツはおスクールでおテニスにおスイミングだった都会っ子のミー。

親戚の家が文字通りド田舎で、そこで数日厄介になったときに言われた一言。
「町の子は使えん」
碌に手伝いもせず野良仕事もせず使えないと。おっしゃるとおり。さーせん。
もうね、精神構造(メンタリティ)が違うと思いましたよ。
コミュニティは小さく閉鎖的。働き者ばかり。常に人がいる。
そう、常に人がいるのだ。
そして、絶え間ない噂話。
プライバシー?なにそれおいしいの?
そんな人たちと、よそ者であり「町の子」である私は相容れるのだろうか……
まあ当分は田舎に暮らす予定はないからいいけど。

田舎讃美歌をBGMに、国や地方自治体は老若男女を都市から田舎に送り込もうとしてるけど、私は結構懐疑的だ。
断っておくが、決して田舎を下に見ているとか都会の方がいいとか、そういう主張をしているわけではない。
私は幼少期、埋め立て地で育った。
川と言えば「せせらぎ」と名付けられた申し訳程度の噴水と流れる水のこと、蝉も碌にいないような人工的な環境で育った。だから、歴史や伝統、豊かな自然がある地上都市や田舎に憧憬を抱いている。
ただ、祖父母の代で上京、それ以来我が家は本家筋はおろか分家筋ともほとんど接点を持っていない。たった二世代の間に、密な人間関係に臆する、やわな町の子(と言っても政令指定都市に成り損ないの地方都市だが)が生まれてしまったのだ。
そんな世代が、田舎で上手くやっていけるのかな。あ、おまえみたいなコミュ障じゃなきゃ大丈夫だって?うん、そりゃよかった。心配して損したわ。


何が言いたいかって言うと、「ばらかもん」ってとても素敵なファンタジーだよねってこと。




しかし、一番のショックはなんといっても、半田先生と同い年だったってことだ。
まじかー
半田先生23歳かー
私とは人生の濃さが違うなー
最初は、悩める天才かと思ってたけど実際は努力の塊だってことが明示されてから話がどんどん面白くなってきてる気がするぜ。

2015年11月14日土曜日

【考察】平成風昭和的世界観「おそ松さん」


2015年秋アニメの問題児、「おそ松さん」のOP曲「はなまるぴっぴはよいこだけ」が公式リリースされた。
あの音ゲーっぽい音楽とナンセンスな歌詞、そしてサイケデリックなPVで、中毒になった視聴者も多いだろう。私も、アニメは毎話OPを飛ばさずスマホもいじらずちゃんと見ているクチだ。
さて、気になる「はなまるぴっぴはよいこだけ」Full ver. だが……。

狂ってやがる。

いやホントに。TV ver. のナンセンスさはあくまで放送用ということか。パッと聞いて意味が分からないのに、歌詞をじっくり見ていくと、背中に冷たいものが走る。アニメの世界観を表すのがオープニング主題歌だとしたら、現在進行形で私たちが視聴している「おそ松さん」は、実は私(たち)が認識しているものとは全然違うんじゃないか。
ただのナンセンス/シュールギャグアニメだと思っていたけど、もっとキツイ、ブラックジョークのアニメな気がする。そしてそれは、見返せば第1話から周到に伏線や布石が準備されていたのではないか。

復習

というわけで、アニメ「おそ松さん」1クール目が折り返し地点に来たので、復習がてら振り返ってみる。
伝説()の第1話と、第2話以降に話を分ける。

第1話について。

DVD未収録とネット配信停止を発表、視聴者をアッと驚かせた問題作。
主に女性ファンのツボを見事に突きつつそれ自体をネタとするハイセンスさを見せつけつつ、これでもかとパロディを詰め込んだ二十数分間にはツッコミどころはたくさんあったが、ここでは『進撃の巨人』のパロディのみ取り上げる。

巨人と化したチビ太に、おそ松が「よう…27年ぶりだな…」と呼びかけるシーン。
視聴した当初、この「27年」は、「おそ松くん」アニメ2期放送開始の1988年から27年ぶりの放送を指していると思っていた。が、どうにも違和感が拭えない。というのも、その直後のチョロ松のセリフ「微妙なワードを使わないで!」と微妙に噛み合わないのだ。(え、年数がキリ番じゃないってこと?30年ぶりだったら良かったの???としばらく首を捻った)

そこでネットをふらふらとしていたら見つけた、「おそ松くんの最終回が後味悪すぎる件」。複数の2ちゃんねるのまとめサイトに載っているのだが、画像が正しければ「少年サンデー」に掲載された「赤塚不二夫『あのキャラクターは、いま!?』」によれば、どうやら六つ子をはじめ主要キャラクターはほぼ死んだらしい(チビ太は死ななかったようだが)。そして、「あれから27年もたったのか……」というセリフがある。
いささかこじつけめいているのを承知で書けば、アニメのチョロ松のセリフは、放送時期ではなく死亡時期を指している、と考えた方が自然だ。また、そう考えれば、アニメ2作目で10代だったであろう六つ子が現在20代であることにも整合性がある。
また、トド松の「大丈夫、(赤塚先生は)もう死んでいるから」というセリフ。これがただの不謹慎ギャグなのか、登場人物が既に死んでいることの示唆なのか。

余談だが、私は第1話のDVD未収録は最初から仕組まれたものだと思う。
著作権とか下ネタとかだったら、明らかに第3話の方がマズい(から実際に一部差し替えになった)、不謹慎ネタはフジオプロ側からの提案だったらしいし。
さらに、大方「おそ松くんの最終回が後味悪すぎる件」も関係者が意識的に流した情報だと思っている。そして、考察を促しつつ掌の上で踊らせようって魂胆なんだろう。フッ、大いに踊ってやるぜ。だから第1話の再配信をどうかお願いしやす!
DVDに収録される予定の完全新作アニメーション。この作品の世界観を提示するような話になるのだろう。なかなかにショッキングなものになるかもしれん。

第2話以降について。

BS放送で修正の入った第3話、一部のカラ松ガールがモンペ化した第5話など現実世界に 実害 影響を及ぼしつつ話が展開している。実に楽しいよ。

さて、アニメ「おそ松さん」はSF(すこしふしぎ)な手法で製作されている。

まずは、ベースとなる世界観がある。これは現時点では不明だ。
そして、固定された設定がある。松野家の基本スペック(家族構成、六つ子の性格など)や、主要キャラクター(含・聖澤庄之助)。

以上を前提とした上で、各エピソードが1話(あるいは1放送分)完結で繰り広げられていく。イヤミの栄枯盛衰っぷりや、デカパンがブラック工場の社長になったり博士になったり、大騒動を巻き起こしたエスパーニャンコが次の話では全く出なかったり、というのは(本来の意味とはややずれるが)「スターシステム」の描き方と見る。

……ここまで書いていて気付いたが、各エピソードは完結してはいるが、独立はしていなかった。おそ松が競馬に勝つエピソードやブラック工場など繋がりはある。もしかしたら、あのブラック工場は、ハタ坊が所有してデカパンが監督を務めイヤミが末端の社員でアルバイトを家畜の如く使役していたところなのかもしれない。そして、六つ子が脱走したからイヤミはクビになったのかもしれない。
ということで、第2話以降については保留。最終話まで全て見ないと分からない。今後に期待。


昭和64年/平成元年

ところで、平成生まれの私にとって、昭和は完全な過去だ。歴史の教科書の世界だ。

しかも、バブル崩壊後に生まれた世代。高度経済成長期を生き残った「古き良き日本」なるものが、泡銭のジャラジャラという音と共に破壊された後に、ノスタルジーと共に美しくも歪に再生産された「昭和ライクなもの」を昭和を知らぬまま消費している。つまりなにが言いたいのかと言うと、私にとって(そしておそらく私たちの世代にとって)昭和はファンタジーの世界なのだ。

そんな昭和を代表する漫画をリメイクした、アニメ「おそ松さん」。

随所に仕込まれるネタは紛れもなく平成のものだが、作品全体の根底にある世界観というか精神は、昭和である、と感じる。時折見せる、「理解不能」なギャグの一抹の不気味さは、平成にないものなのか、単に私が普段ナンセンスものを見ないせいなのか……。


と、このように薄らと感じていた不気味さが、「はなまるぴっぴはよいこだけ」の歌詞をきっかけに、一気に増した。
もうハッキリといってしまおうか。
私は、「おそ松さん」は「おそ松くん」と同一キャラクターではない、と疑っている。
フグを食べた時に世界線を移動したのか、デカパンあたりが作った身代わりロボットなのか、はたまた壮大な夢落ちなのか(だとしたら誰の?)、そこまでは分からない。
歌詞で繰り返される「新型ギミック」からして、新しく作られた仕掛け/機械なのだろうか。「時限式カラミティ(災厄・惨事・疫病神)」というのも気になる。


とか言ってー
こういう考察を一気に水の泡にするのがギャグ作品の恐ろしさよ……。
でも、今までの話を見る限り張った伏線はきちんと回収しているし、丁寧な作りだから、もう何があっても納得できる気がする。

ただ、カラ松が参謀役だというのは未だに分からん……ただの不憫な次男でしかない。
第1話の格好良いカラ松はどこにいったのだ。
むしろ、カラ松のキャラが違い過ぎて第1話が配信停止になった説。

もどれない?嗚呼 かえれない?嗚呼


今年の夏は江戸川乱歩没後50年を記念したアニメ「乱歩奇譚」もあったし、政治でも昭和以来のゴタゴタもあったし、なんとなく全体的に昭和回帰なんですかね。先行き不透明だしね。

アニメ「おそ松さん」。2クール決定おめでとうございます。
全25話で、どう話を着地させるのか、とても楽しみだ。
ブラックジョーク路線で行って欲しい、むしろバッドエンドでもいいくらいだと思ってる。
視聴者の心に傷を残すぐらい、ありきたりの良いお話なんかじゃない、振り切れた最終回が見たい。
だって、
「この世に要るのはよいこだけ」
なんでしょ。
あのクズニートたちやイヤミや扶養家族選抜するような親や人の頭や尻に旗をぶっ刺そうとする友達は「この世」に「要る」のかな。あはは。

BGM
# A応P「はなまるぴっぴはよいこだけ」
# [Remix]はーこーぴっぴはよいこだけ Full Version【おそ松さん】 by 亜九静

2015年10月30日金曜日

捨てられた僕は。『いなくなれ、群青』

河野裕『いなくなれ、群青』新潮社、2014年。


新潮文庫NEXより昨年刊行されたキャラクターノベル。
出版社と書店がかなり力を入れて売り出したこともあり、一度は表紙を目にした人も多いと思う。
そして、つい最近、シリーズ二作目である『その白さえ嘘だとしても』が発売された(お茶の水の三省堂でうず高く積まれていたのは圧巻だった)。

「キャラクターノベル」を標榜するだけあって、主人公の七草をはじめ、各キャラクターの「キャラ」が丁寧に作り込まれている。今回は七草と真辺宇由にスポットが当てられているが、巻を追うごとに他のキャラクターの掘り下げが進められることに期待したい。

さて、「高校生」、という生物的に子どもから大人へと移行していく時期は、人間的にも一大転機を迎える時期でもある。
表面をなんとか繕いながら、内面の激動とどう折り合いをつけていくのか。
日本の多くの16歳から18歳は両親や学校に守られながら、この繊細極まりない時期を過ごす。
現在、日本には差し迫った外患は無い。無いことになっている。憲法違反の法案を巡って国会や各地で紛糾しているが、基本的には平和な日常を過ごせている。だから、内面のドロドロとした感情に向き合わざるを得なくなるのだ、と思う。
誰もが抱える、もやもや、いらいらした感情を勉学やスポーツ、あるいは学校行事に上手く昇華できれば万々歳、スクールカーストの最下層は免れる。
ここでうっかり妙な趣味――マイナーなもの――にハマってしまえば、学校生活のと雲行きがちょっとばかり怪しくなる。……正直、その時々のクラスメイトによるのだけど。このへんの話は、朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』が実に上手く描いているので、ここではこれ以上言うまい。

「高校生」。
まだ高校生になってないお嬢さんや坊や、なんだか変に期待してない?
今まさに高校生の君、毎日充実してる?
かつて高校生だったあなた、もう二度と戻れない三年間は、楽しかったですか?
私は、どうだったかな。今となっては最高の日々だったと思っているけど――。


ところで、この作品で一番印象的だったのは、「透明感」と「色」だ。
だからかな、百万回生きた猫のトマトジュースが、やけに鮮やかで印象的だった。まるで、血のようで……。


以下ネタバレ。


そろそろ内容についてコメントしようか。

「階段島」の住人は、捨てられた存在である。
成長の過程で、自分自身に「いらない」と切り離されてしまった人格の一部分。
だから、登場人物は皆、どこか過剰なのだ。尖っている。幸か不幸か、島の住人は、お互いの過剰な部分を「個性」だとして受け入れている。そこに少しだけ救われた気持ちになる。それと同時に、ラストの七草の心情を考えると、果たして彼らは幸せになり得るのだろうか、と不安になる。このシリーズの「ハッピーエンド」は、一筋縄ではいきそうにない。まあバッドエンドは好物なのでどちらでも構わないけど……。

それにしても、「キャラクターノベル」とはよく言ったもので、いかにキャラを立てて物語を紡いでいくのかが楽しみである。「キャラクターありき」とは言わないまでも、キャラクターが最大限魅力的に動けるような作品になって欲しい。


2015年10月27日火曜日

海老名市立中央図書館

10月1日にリニューアルオープンした、海老名市立中央図書館(神奈川県)に行ったときの感想。

TSUTAYAなどを運営するCCCと手を組み、サービス向上を図ろうとしていたが、一番肝心な選書で揺れている、との情報を得たので、冷やかしに行くことにした。10月7日に行ったきりなので、いろいろ曖昧です……。


まずは入り口。
ライセンス契約を結んでいるであろうスターバックスを左手に、正面や右手にはTSUTAYAが売っている雑誌をメインとした書籍と雑貨がドーンと陳列。ここは図書館と言うよりは書店なので、ガヤガヤとした雰囲気。子連れの人が気軽に来れそうだけど、海老名市民の税金で賄われているであろう公立の建物・サービスで商売っ気を露骨に出していることには違和感を覚えました。
書籍は、比較的新しい単行本や文庫が中心。あと雑誌の最新号。

2階に上がれば、もう図書館。
ただし、場所によっては1階の喧騒やBGMが響いてうるさい。

3階は広い学習スペースがある。席数は数えていませんが、公立図書館にしては多いのかな。
夕方になると、制服姿の高校生でいっぱい。部活の道具を引っ提げた子が多かった印象。
元々図書館を活用する土地柄なのか、新しいものができたのでとりあえず見に来たのかは不明。まあ民間業者の手を借りるくらいだから後者だろうな……。
ひとしきりキャアキャアギャーギャー騒いだ後は、「席がないねえ」とあっさり帰った模様。完全に高校にいるときのノリだった。私は真面目に勉強していなかったし、懐かしかったので、生暖かく見守っていました。本当はTSUTAYAの制服を着たスタッフだか司書さんだかが注意すべきなんですけどね。
営利団体だと注意しにくいのかな、気付かなかっただけかな。この対応は少し気になりますね。

4階は「こどもとしょかん(キッズライブラリー)」。
プラネタリウム跡地。
父子が仲良く電車の模型と一緒に写真を撮っていて微笑ましかったです、まる

そして、地下1階。
秘密基地みたいでした。小説がずらっと並んでいて圧巻。雰囲気が良い。

全体的な感想は、「取り組みとしては面白いが、長続きするかは怪しい」。
既に散々指摘されていることですが、書籍の分類法が独特で、図書館に慣れている人は戸惑うでしょう。一応、検索機はありますが、そういう問題でもないような。若者はすぐに順応できそうですが、図書館の利用者はシニア層が多いことを考えると、その辺どうなんでしょう。

2015年10月26日月曜日

哲学的ゾンビの憂鬱

挨拶的な何か、

木枯らしが吹き荒ぶ季節になりましたね。
西の空がなんとも言えず美しい。
沈みゆく日が、雲を淡い桃色に染め、山は影に、空は水平線から大きな虹のような色の七変化を作り出している。
この文章を書き終える頃、もう一度西方を眺めれば、日は山影に沈み、僅かに残っている橙色がどんどん暗闇に飲まれていく。
……お久しぶりです。前回の記事は残暑の厳しい頃でしたね……。

あと近況とか

最近、ブクログなるものを始めてみました。
こちらに記載していて本の感想をお引越しさせるか検討中です。
でも、このブログから本の話題を取ったら何にも残らないので、本以外の記事が書けるようになるまでは保留かな……。

哲学的ゾンビは何を知っているのか

「哲学的ゾンビ」という思考実験をご存じだろうか?
……ご存じ、ないのですか!?
彼/彼女こそ、「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」、哲学的ゾンビちゃんです!

こらー!真面目にやランカ!

……さて。
「哲学的ゾンビ」、にちゃんねる哲学板あたりで取り上げられているのを偶然目にして知りました。
ちょっと心に引っ掛かることがあったので、ググったり飲茶氏の書籍をパラパラ捲ったりしてみることに。
この思考実験で重要なのは、意識(クオリア)の有無。
そして、その意識(クオリア)は人間の機能的には不自然である、らしい。
意識がなくても、人間は社会生活をきちんと送れるという。例えば、「抓られた」ら「痛いと感じる」という肉体的感覚、「格好良い先輩とお話しできた」ら「女友達とキャーキャー騒ぐ」という反応。
「美しい夕日を眺め」て、「綺麗と呟く」あるいは「誰かに伝えようと文章や絵で描いてみる」。
これらは人間様の特権でもなんでもなく、将来精密なロボットが再現できそうなことだ。もちろん、そのロボットに意識はないだろう。

そもそも。
私は誰?アイデンティティって何?私のオリジナリティって?
人間は、生まれる前から、ある程度どう成長するか、心身共に予想が付く生き物だ。
ホモ・サピエンス・サピエンスそのものが内包する特徴。両親・祖父母をはじめ親戚からの遺伝。そして、育つ環境。
私の場合、生まれた時は父方の親戚によく似た見た目をしていた。
中学から高校にかけて、人並に反抗期を迎えた。多少、暴力的な衝動があり、夜な夜な自室で枕を殴りつけた。ひょんなことから、祖母が若い頃、怒り狂って皿をぶん投げていたことを知った。激しい気性は血筋らしい。
知らない人に対して無意識のうちに猫を被ってしまう性格も祖母譲りだ。大したことが無くても大袈裟に騒ぎ立ててしまう性分、学問好きな傾向、運動好き、etc.どれも「すみかのオリジナル」ではなく「親戚の誰かと似ている」。
冷静に考えれば、何にも依らない、100%のオリジナルである人間なんて存在しない。それは、人間ではない。
でも、私という存在のアイデンティティは何かと問われると、一気に不安定になる。
だって、先に挙げたような特徴(=情報、データ)をぎゅっと詰め込んだヒト型の何かが現れたら。
私とソイツのどちらが本物か、分からないじゃないか。

哲学的ゾンビの問題について考え始めると、背筋が寒くなる。
考えれば考えるほど、世界が、自分が、不確かな存在となっていく。

ところで、哲学的ゾンビは、ゾンビ自身が「意識(クオリア)を持たないこと」を知っているのだろうか?
例えば、高校生、人間だったら思春期真っ只中のゾンビちゃんに、
「実はあなたは哲学的ゾンビで、自分の意識(クオリア)なんてないのよ」
と言ったら、どうなるだろうか?
戸惑うか、泣き出すか、鼻で笑うか、それとも、悩み始めちゃって「鬱」になるか。
……哲学的ゾンビ狩り、なんてことがあったらやってみたいなあ。




<参考文献>
飲茶『哲学的な何か、あと科学とか』二見書房、2006年。

BGM
# God knows...
# 【MEIKO】咲音メイコ「星間飛行」




2015年9月7日月曜日

【感想】資本主義の、その先へ。『里海資本論』

●井上恭介、NHK「里海」取材班『里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く』KADOKAWA2015年。


前作『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』(2013)が良書だったので、期待して購入。
軽くおさらいしておくと、『里山資本主義』では、「マッチョな経済」の限界を指摘、GDPなどの数字では表せない豊かさを提示してみせた。ただし、タイトルが表す通り、資本主義自体は否定しなかった。あくまで、現行の経済システム(=資本主義)を改善しつつ、マネーに依存しないサブシステムの在り方を、木材などの例を挙げて説明、提案するにとどまっていた。
経済政策を重んじる安倍首相を始め、経済界の人々は憤慨するかもしれない内容だが、「経済ってなんだっけ?」という原点に立ち返るときに、案外重要な視点になると思う。通勤、通学の電車内で読み切れる分量だ。また、文章も読みやすいので、オススメ。


さて、今回取り上げる『里海資本論』について。
まず注目したいのが、タイトル。
『里山資本主義』と『里海資本論』。そう、資本主義から資本論へ、進化したのだ。
「資本論」といえば真っ先に思い浮かぶのが、マルクスやエンゲルスらによる『資本論』だ。資本主義と対立する、共産主義、社会主義などを連想させる用語を、なぜ用いたのか。取材班は、資本主義に見切りをつけたのか?
そうではない。「マッチョな経済」、つまり資本主義のどん詰まりの末に生まれざるを得なかったのが、「里海資本論」だったのだ。
「マッチョな経済」では、経済成長の踏み台として、地球環境を犠牲にしてきた。しかし、人間も地球に住む生物の一種である以上、破壊された自然の中では生きていけない。つまり、地球環境も経済成長も、搾取する一方では、いずれ必ず限界を迎える。資本主義は、限界を伴うのだ。そして、その限界は、もしかすると人類の滅亡、地球の破壊なのかもしれない。
そんな資本主義経済に異を唱えたのが、19世紀のマルクスやエンゲルスであり、21世紀の「里海資本論」である。

「はじめに」で紹介された「里海」「SATOUMI」の学術用語としての定義は、「人手が加わることによって生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」だ。
今作の主な舞台は、瀬戸内海。高度経済成長期に「死の海」と成り果てた瀬戸内海の復活と再生を軸に、話が展開する。
工場排水などの化学物質で汚染された「死の海」を復活させたのは、地元の漁師と水産試験場(現・水産研究所)の研究員ら。廃れかけた伝統の中から、復活の糸口を探っていく。ここで重要なのが、対抗する化学物質を投入したり排水制限したりといった一時的な対処療法で終わらなかったこと。カキ筏やアマモなど、地元の人たちでさえ忘れかけていた伝統的な営みに地道に取り組んできたことこそが、復活のカギとなった。伝統の一部が復活したことにより、連鎖的に昔の記憶が浮かび上がり、人と自然が有機的に関わっていくことになる。特に村上海賊の末裔の活躍ぶりには舌を巻いた。

「里海」「SATOUMI」これら学術用語は、「瀬戸内海生まれ日本発」だという。
なぜ、日本発なのか。
それは、宗教観にも結び付いているという。
資本主義が、キリスト教という一神教を背景に持つことは有名である。そして、科学によって自然を屈服させ、搾取することに違和感を覚えないのも、一神教的発想であることは否めない。
日本人は、ときに「無宗教だ」と言われることもあるが、基本的には八百万の神々を信仰している。山や川、海といった自然を祀り、一粒の米に七人の神々を見る。神々と人間は、自然の中で共存しているのだ。
日本的発想に基づけば、人間も、神々のおわします自然の一員として、自然に働きかけることは悪いことではない。むしろ、自然環境を破壊したのなら、積極的に修復する手助けをすべきなのである。アダム=スミスが期待したような、一神教的「神の手」が修復してくださることはないのだから。


私は、都市に住む人間だ。
遠い親戚で田舎に住む人たちはいるが、交流はあまりない。
だから、『里山資本主義』を読んだときも、『里海資本論』を読み終わったときも、大いに魅力を感じつつも、どこか他人事であると感じたことを、正直に告白しよう。あと、些かユートピア過ぎやしないかと思ったことも。
都市に住み、資本主義を象徴するお金で生活する。食材、水道、光熱、書籍、パソコンなどの電子機器。大学や塾。博物館や美術館。第一次産業品も第二次産業品も第三次産業のサービスも、全部全部お金で買っている。お金でモノやサービスを消費することに、あまりにも慣れ過ぎている。衣食住、全て顔も知らない誰かに任せっきり。これは、生物の生き方としてはとても危うく、もっと言ってしまえば、間違っていると心のどこかで思いつつも、この生活を手放す勇気はない。
それでも、世界の最先端で、こういった動きがあることを知れたことで大いに勉強になった。
本書に出てくる人は、老若男女を問わず、皆元気そのもの。都市で精神が半分死にかけている私には、とっても眩しい。
田舎暮らしって、カッコイイ、楽しそう。
多くの人が本心からそう思い、都市から田舎へ移住する流れが決定的になったとき、日本社会はまた新たな局面に入っていくのだろう。

まだまだ私は、その流れには乗れない。どうして乗れないのかが分かれば、地方創生の微力な一助になる気がする。が、この記事とは関係ないので、今回はここまで。


里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く (角川新書) amazon.com

2015年8月13日木曜日

【スペイン語訳】 深海少女/Chica abismal

自分の勉強用。ざっくりとした仮訳。




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深海少女/Chica abismal

作詞/Letras: ゆうゆ(Yu-u-yu)
作曲/Compositor: ゆうゆ(Yu-u-yu)
編曲/Arr.: ゆうゆ(Yu-u-yu)


Estoy hundiendo en el mar de tristeza  No tengo ganas de abrir mis ojos
¿Caeré tan bajo por la eternidad y nadie me encontrará?

¿A dónde voy y qué hago? De repente una línea de luz entra por superficie del agua
Si alcanzo la luz puedo tocarla, pero pierdo la luz porque una ola la se ha llevado

¿Qué ha sido aquella luz?  Calida y deslumbra
Counter-illumination de inconsciencia  ¿Quién es mentiroso?

Chica abismal hundiendo aún más  Se ha encerrado en allende la oscuridad
Chica abismal pero quiere conocer porque ha encontrado a un chico atrayente

En éste lugar no había día ni noche Sin embargo paso muchas noches sin poder dormir
Tú era hermoso nadando con las alas abiertas grandes

Y otra vez vierte la luz  Cuando quedo cautivada la luz, nos encontramos las miradas
La mentirosa es yo...

Chica abismal Hundiendo expresamente las mejillas rojas en la oscuridad
Chica abismal Todavía el mar negro no ha permitido su valor de mostrar la corazón desnuda

Se ha manchado el vestido  Mi sonrie ha estado retorcido feo
No quiero enfrentarme con nadie ¡déjame ya!

Su sentimiento sin voz rebosa y se disuelve
Un momento después, de repente tu desaparece

La chica anciosa da prisa  La oscuridad se oculta él
La chica límite  Alcanza sus manos

“Mira, tú también has ocultado un color maravilloso

Chica abismal  él lleva la chica del brazo  canta marine-snow de felicitación
Chica abismal  quiere conocer más porque ha encontrado a un chico atrayente


Salgo de éste mal y levanto el vuelo ahora


悲しみの海に沈んだ私 目を開けるのも億劫
このままどこまでも堕ちて行き 誰にも見つけられないのかな

どこへ向かい、何をすれば?ふと射し込む一筋の光
手を伸ばせば届きそうだけど 波に拐(さら)われて見失った

あれは一体なんだったのかな あたたかくて眩しかったの
無意識のカウンターイルミネーション 嘘つきの誰?

深海少女 まだまだ沈む 暗闇の彼方へ閉じこもる
深海少女 だけど知りたい 心惹かれるあの人を見つけたから

昼も夜も無かったこの場所 なのに眠れない夜は続く
自由の羽を大きく広げて 泳ぐあなたは奇麗でした

そしてまた光は降り注ぐ 見とれていたら目が合った
気付いてこっちを振り返るあなたに 嘘つきな私

深海少女 わざわざ沈む 暗闇のさなかに赤い頬
深海少女 ハダカの心を見せる勇気 黒い海がまだ許さない

こんなに服は汚れてしまった 笑顔も醜くゆがんでいた
誰にも合わせる顔なんてないの もう放っておいてよ!

声にならない気持ちが溢れてとけた
次の瞬間、君が突然姿を消した

心配性の 彼女は焦る 闇が彼を隠しひとりきり
限界少女 その手を伸ばす

「ほらね、君も素敵な色を隠してた」

深海少女 腕を牽かれる 歌う祝福のマリンスノー
深海少女 もっと知りたい 心惹かれるあの人を見つけたから


この海を出て 今飛び立つの