2015年7月27日月曜日

【感想】まずは部屋から出ようか。『家出のすすめ』

この炎天下、冷房の効いた部屋から出たくないでござる。


寺山修司『家出のすすめ』角川書店、1972年。

”愛情過多の父母、精神的に乳離れできない子どもにとって、ほんとうに必要なことは何か?「家出のすすめ」「悪徳のすすめ」「反俗のすすめ」「自立のすすめ」と四章にわたり現代の矛盾を鋭く告発する寺山流青春論。”――本書より。


……ねえ、寺山修司、って誰?


2015年7月3日金曜日

叫べ、笑え、踊れ、そして涙を流せ<中編>

 時々、なぜ私は生きているのだろう、と考える。
 小さい頃から疑問に思っていたが、学校生活が充実している間はあまりそのことで悩むことはなかった。引き籠るようになって、くよくよと悩むことになった。
 何度考えても、私自身に生きる積極的な理由は導き出せなかった。(正直なところ、今でもよく分からない)。哲学や心理学といった学問的アプローチをすればもっともらしい理由付けができたかもしれないが、小難しい理論で無理に納得するのは嫌だった。また、宗教に走ることもなかった。別に救いを求めているわけじゃない。

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 死んだような日々は淡々と続いた。
 最低限のアルバイトをこなして、ちょこっと講義に出て、帰宅して、ご飯を食べて、寝る。誰とも喋らない日はしょっちゅうあった。
 日がな一日ぼーっと過ごして物を考えなくなったせいで、自分がどんどん馬鹿になっていくのが分かった。固有名詞が出なくなり、感情の説明ができなくなった。一度、勇気を振り絞って出席した同窓会では「最近読んだ面白い本」のタイトルが一切出て来なくて唖然とした。そう、本を読んでもアニメを見ても、全然身が入らないのだ。文字や映像から機械的に快楽を受け取り、消費し、そのまま自分の血肉になることなく抜けていく。まるで動物のようだった。
 
 さすがにこのままではいけない。
 無感動な毎日を送っている間も、心の片隅に残った最後の良心みたいなものが喚き続けているのには気づいていた。
 この負のスパイラルから抜け出すにはどうしたら良いのか。
 当面の目標は、「人と普通に話せるようになること」だ。目と目を合わせて話す。当時の私にはとんでもなく難しく思えた。
 劣等感とは、つまり、自分に自信がないということだ。なぜ自分に自信がないかと言えば、いつも周囲の目を気にしてしまうからだ。何かに熱中している時は、周囲が何を言おうと気にならないものだが、意識が過剰に自分に向いてしまっている時は、どうしても周囲の目が気になってしまう。そして、必要もないのに、勝手に比較して、自分の出来の悪さに失望してしまうのだ。
 
 誰も知らない、見知らぬ土地へ行こう。ただの通りすがりの旅人になるのだ。
 それは天啓のようだった。
 知り合いに会うから、つまらない見栄を張ろうとするのだ。それならば、私のことを何も知らない人たちのところへ行けばいい。そこで人と話す練習をしてみようじゃないか。
 今考えると、いろいろ飛躍している気もするが、とにかく私は西を目指して旅立つことにした。
 
 当然のことだが、旅に出たからといってすぐに気持ちが変わるわけではない。
 相変わらず、喜怒哀楽のうち喜・怒・楽が欠落したままだった。それでも、移動するにつれて心に垂れ込めていた雲が徐々に晴れていくような気がした。
 
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 徳島県に祖谷という地がある。
 国指定重要有形民俗文化財のかずら橋を見ようと訪れた。平家の落武者が架けたという植物で編んだ吊り橋だ。日本三奇橋の一つらしい。
 その日は生憎の雨で、橋を渡るためのチケットを買うと、レインコートをしっかりと羽織り直して恐る恐る橋に足を乗せた。
 一歩踏み出す毎に橋全体がミシミシと軋んだ音を立てる。足元を見ると、清流が轟々と音を立てて流れている。ところどころ突き出た岩に水飛沫が跳ね上げる。
 ――落ちたら、死ぬ。
 そう思った途端、「怖い」と感じた。動物としての本能だったのかもしれない。
 人間としては半分死んだようになっていたくせに、死んでしまいたいという思いが脳裏をよぎったこともあったくせに、実際に足を滑らせたら本当に死ぬという状況になって真っ先に思ったことが、「怖い」だったのだ。
 後から対岸の茶店の女将に聞いたところ、20年ほど前は橋板の間隔が30㎝弱もあったそうだ。大人が足を踏み抜くこともあったらしい。今は、靴のサイズ24.5㎝の私が踏み外すことはない間隔に狭まっている。つまり、橋から落ちることは、まずありえない。
 だが、橋の上にいる私はとにかく落ちるまいと必死だった。「死にたくない」とは思わなかったけど、確かに死の危険から逃れようとしていた。
 無事にかずら橋を渡り終えた後、私は自分が感情を取り戻しつつあることを自覚した。

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 その日の宿では、一人部屋にしては広い和室があてがわれた。
 祖谷で買った栗焼酎をそのまま口に含んでいると、舌が溶けていくような感じがした。痛みはない。味蕾がどろどろと溶かされていくような感覚を味わい、ゆっくりと飲み込むと、喉がじんわりと焼けるように熱くなった。
 この土地で幼少期を過ごした父のことを考えた。家で私のことを待ってくれている母のことを想った。受験でひいひい言っているはずの弟のことを思い浮かべた。祖父母の顔を一人一人思い出した。
 酒のせいか、考えごとのせいか、喉元がどんどん熱くなっていく。
 久しぶりに押し寄せた感情の渦に押し流されそうだ。相変わらず「楽しい」「嬉しい」といったポジティブな感情は見当たらないけど、「哀しい」以外の感情がどこからか流れ込んできているのが分かった。
 やっとの思いで唾を飲み込むと、栗焼酎の瓶を仕舞い、新鮮な空気を吸おうと外へ出た。
 意味もなく叫びそうになり、慌てて堪える。それがおかしくて、思わずふふっと笑いを零した。酔っているのかもしれない。それでも、久しぶりに笑えた気がした。私は、足取りも軽くコンビニへと向かった。

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旅行から帰った後、久しぶりに祖父母の家に顔を出した。
祖母が嬉しそうに私にいろいろ話してくれるのを聞きながら、ふと思った。
私自身に生きる積極的な理由はないけど、私が死んだら悲しむ人がいる。生きる理由なんて、そんなもので充分じゃないかと。
本当は自分の使命とか成し遂げるべきこととかを言えた方が良いのだろう。社会に貢献する大人になるべきなのだろう。その方が、有意義な人生を過ごせるのだろう。そう刷り込まれて育って来たし、その考え自体は間違っていないと思う。
だけど、今の私には、劣等感から解放され切っていない私には、そこまでポジティブに考えられないし、生きられない。

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あともうちょっとだけ続きますー独り言ひとりごと。

2015年7月2日木曜日

叫べ、笑え、踊れ、そして涙を流せ<前編>

 実はここ一年ちょっと、軽い引き籠り生活を送っていた。
 思い当たる理由はいくつかあるが、とにかく「人と会うことへの恐怖」がじわじわと心を苛むようになってしまったのだ。
 この、「人と会うことへの恐怖」という感情は非常に厄介だ。
 負のスパイラルに嵌ったら最後、抜け出すのに多大な労力を要する。

 私の場合は、劣等感から始まった。
 直接的な原因は、留学だ。だが、伏線は中学生時代から敷かれていた。容姿、賢さ、運動能力、知力等々、薄らと抱き続けていたさまざまな劣等感が、年月をかけて徐々に膨らみ、ついに抱えきれないほど膨れ上がった時、私の本能は「逃げる」ことを選択した。
 逃げるのだ。友人から。知り合いから。人間そのものから。
 私の人生の中で三指に入る幸運は、中身の濃い高校生活を送れたことだ。優秀な学友に恵まれ、多彩な行事や活動に精を出した日々は、今でも楽しい思い出だ。しかし、同時に、急速に劣等感を抱くようになった時期でもある。魅力的な人々に囲まれて過ごすうちに、自分が酷く場違いな人間に思えてきたのだ。高校卒業後、級友の多くは有名大学に進学し、有名企業や自分の夢に向かって突き進む彼らが眩しく、遊学ごときで萎縮している自分が情けなく思えてきた。
 同時期に留学していた友人たちは、就職活動を始めるとしばらくして無事に内定をもらった。私はというと、留学中の日々に痛切に感じた劣等感に苛まされてそれどころではなかった。
 結局、私は人に会うことを拒否するようになった。友人や知人が眩しいということもあったが、情けない姿を見られたくない、という最後の見栄がそうさせた気もする。とにかく、私は人から逃げることにした。
 部屋に閉じこもって、本やらアニメやらを見て、寝る。自分がこうしてぼんやりしている間にも、友人は先に先に進んでいるのだろう、と思うとますます合わせる顔がない。こんなダメ人間、生きてる意味は果たしてあるのだろうか。いやいや、滅多なことは考えるもんじゃない。でも、みんなとの差は広まっていく一方じゃないか、部屋に籠っていて何か一つでも成長したことはあった?堕ちていく一方じゃないか……
 ぐるぐる、ぐるぐると思い詰めているうちに、「楽しい」「嬉しい」という感情が消失していった。同時に、「怒り」「憤り」あるいは「悔しい」といった感情もどこかへ行ってしまった。気持ちは常にどんよりと曇っていて、ただただ、「哀しい」という感情だけが僅かに残った。

 生物としては生きているが、人間としてはどんどん死に近づいている気がした。
 





キリがいいので一旦区切ります。



今までの統計データ的にそんなに見ている人もいないだろうから、個人的なことを書いてもまあ大丈夫でしょう、という非常に楽観的な考え。需要がないのは分かってますって。
タイトル回収できなかったけど、考え直すの面倒なのでそのままー

一年経ってもまだ変わらない

A year has past still on the ground
Been to nowhere and all around
We've had our ups and sometimes downs
       ----Neverstore, "ROCKTHEFOOL"'Heroes Wanted'



一年近く放っておいてしまった。本当に飽き性だ。
たぶん、これがただの独り言だから続かないのだろう。
生産性もない。
コンテンツ作りって難しい。

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私の好きなロック・バンドと言えば、NEVERSTOREだ。
マイナーだということに気付いてからは、好きだと公言しなくなったが、粗削りな感じが気に入っている。
スウェーデン出身のスリーピースで、イケメン揃いだ。ちなみに、私は断然フロントマンのジェイコブ派。黒髪に黒い目の、正統派美男子。しかし、PVでは大体イケメンに見えない残念男子であるところが良い。
さて、冒頭に掲げた歌詞は、セカンド・アルバムの"Heroes Wanted"の最初の曲、"ROCKTHEFOOL"の一部を引用した。
……今の私がまさにその状況なのだが、残念ながら昨年より進歩していない。それどころか、悪化している気がする。ひとえに自分のせいなのだが。
このアルバムを好んで聞いていた高校時代の内なる衝動を懐かしく思い出す時、あまりにも堕落してしまった今の自分の惨めさに愕然とする。
そして、やっぱり頑張らなきゃと思わせてくれるエネルギーが、この曲、いやアルバムには込められている気がするのだ。

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約一年ぶりのブログ記事だが、相変わらず内容がないよう。
誰のために、何のために文章を書くのか。
そのへんをはっきりさせないと、たぶんまた長々と放置することになるだろう。
それは分かっている。
さあ、どうすべきか。サイバー空間という巨大な闇に向かって、私は何を叫ぼうとしているのか。