2015年7月27日月曜日

【感想】まずは部屋から出ようか。『家出のすすめ』

この炎天下、冷房の効いた部屋から出たくないでござる。


寺山修司『家出のすすめ』角川書店、1972年。

”愛情過多の父母、精神的に乳離れできない子どもにとって、ほんとうに必要なことは何か?「家出のすすめ」「悪徳のすすめ」「反俗のすすめ」「自立のすすめ」と四章にわたり現代の矛盾を鋭く告発する寺山流青春論。”――本書より。


……ねえ、寺山修司、って誰?



なんか古い。
いや、初版が1972年と四十年以上昔なのだから当然なんだけどさ。


これは、たぶん、日本社会が、何か大きなものに飼い馴らされ始めた頃のお話。
そして、半世紀近く経って、日本社会は再び変質してきたのではないか。そんなことを感じさせた。


以下雑感。

1.ははとは。
寺山氏は、家から、特に母親からの自立を大いに推奨している。確かに、「母と子」は古今東西問わず繰り返し立ち現れる重要なテーマだが、寺山氏は些か過剰に入れ込んでいる気がした。
「母」という抽象的概念・具体的事例に対するしつこい言及は、「あんたこそ本当はマザコンなんじゃないのか」と疑念を抱かせるほどだ。カーチャンカーチャンうるせえ。
とはいえ、人の子は必ず母親のお腹の中から生まれる以上、母子の絆は完全には断ち切れない。だからこそ、当事者である母子は、絆と依存を履き違えてしまう危険性が常に付きまとう。そのことを自覚し、敢えて自立せよ、という著者からのメッセージだと思っておくことにした。

2.いかりとは。
寺山氏は、「醒めて、怒れ」と言った。怒りこそ、明日へのエネルギーであると。
この言葉を見て、ハッとした。
怒りはエネルギーを消費する。だから、なるべく怒らないようにしよう。いつの間にか私は、そんな省エネ主義者になっていた。私だけじゃない、たぶん、日本社会全体が物質的にも精神的にも省エネ主義になってきているのだと思う。だって、そうでしょう。恵まれているもの。抑圧的な家父長制度は崩壊の一途をたどっている。科学技術の発展のおかげで、日々ますます便利になっていく。生きるのに必要なエネルギーがどんどん小さくなってきている。(確かに、ブラック企業や高い自殺率など問題も多いけど、全体としては小さくなる傾向にあると思う)
ところで、省エネで思い浮かべるのは、コミュニケーションの在り方の変遷だ。最も原始的な対面コミュニケーションから声だけの電話を経て、今や文字だけのメールやチャット、それも機器に内蔵された予測変換機能を駆使してますますローエネルギーへ。最先端の流行に至っては、写真を投稿するだけ、とどこまでもエネルギーを使わずにコミュニケーションを取ろうとしている。『氷菓』の折木奉太郎もびっくりの省エネっぷりではないか。
さて、怒りに話を戻す。「怒りこそ、明日へのエネルギーである。」原発問題や安保法案などを見ていると、まさにその通りだと感じる。例えば、国会議事堂前でのデモ。老いも若きも、マイクを握った人たちは、醒めていた。醒めていながら、猛烈に怒っていた。そのエネルギーは、確かに、このくそったれな政治をなんとか変えてくれるんじゃないか、と思わせるのに充分だった。
私自身は、今はまだ、相変わらず省エネ主義者だ。それは実は良いことではないんじゃないか、と本書を読みながら思い始めた。
だからといって、「一日一怒」はやり過ぎな気がするけど。


それにしても、なぜ今『家出のすすめ』が角フェス2015に選ばれたのだろう?
KADOKAWAなりの、危機感なのか。

0 件のコメント:

コメントを投稿