2015年7月3日金曜日

叫べ、笑え、踊れ、そして涙を流せ<中編>

 時々、なぜ私は生きているのだろう、と考える。
 小さい頃から疑問に思っていたが、学校生活が充実している間はあまりそのことで悩むことはなかった。引き籠るようになって、くよくよと悩むことになった。
 何度考えても、私自身に生きる積極的な理由は導き出せなかった。(正直なところ、今でもよく分からない)。哲学や心理学といった学問的アプローチをすればもっともらしい理由付けができたかもしれないが、小難しい理論で無理に納得するのは嫌だった。また、宗教に走ることもなかった。別に救いを求めているわけじゃない。

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 死んだような日々は淡々と続いた。
 最低限のアルバイトをこなして、ちょこっと講義に出て、帰宅して、ご飯を食べて、寝る。誰とも喋らない日はしょっちゅうあった。
 日がな一日ぼーっと過ごして物を考えなくなったせいで、自分がどんどん馬鹿になっていくのが分かった。固有名詞が出なくなり、感情の説明ができなくなった。一度、勇気を振り絞って出席した同窓会では「最近読んだ面白い本」のタイトルが一切出て来なくて唖然とした。そう、本を読んでもアニメを見ても、全然身が入らないのだ。文字や映像から機械的に快楽を受け取り、消費し、そのまま自分の血肉になることなく抜けていく。まるで動物のようだった。
 
 さすがにこのままではいけない。
 無感動な毎日を送っている間も、心の片隅に残った最後の良心みたいなものが喚き続けているのには気づいていた。
 この負のスパイラルから抜け出すにはどうしたら良いのか。
 当面の目標は、「人と普通に話せるようになること」だ。目と目を合わせて話す。当時の私にはとんでもなく難しく思えた。
 劣等感とは、つまり、自分に自信がないということだ。なぜ自分に自信がないかと言えば、いつも周囲の目を気にしてしまうからだ。何かに熱中している時は、周囲が何を言おうと気にならないものだが、意識が過剰に自分に向いてしまっている時は、どうしても周囲の目が気になってしまう。そして、必要もないのに、勝手に比較して、自分の出来の悪さに失望してしまうのだ。
 
 誰も知らない、見知らぬ土地へ行こう。ただの通りすがりの旅人になるのだ。
 それは天啓のようだった。
 知り合いに会うから、つまらない見栄を張ろうとするのだ。それならば、私のことを何も知らない人たちのところへ行けばいい。そこで人と話す練習をしてみようじゃないか。
 今考えると、いろいろ飛躍している気もするが、とにかく私は西を目指して旅立つことにした。
 
 当然のことだが、旅に出たからといってすぐに気持ちが変わるわけではない。
 相変わらず、喜怒哀楽のうち喜・怒・楽が欠落したままだった。それでも、移動するにつれて心に垂れ込めていた雲が徐々に晴れていくような気がした。
 
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 徳島県に祖谷という地がある。
 国指定重要有形民俗文化財のかずら橋を見ようと訪れた。平家の落武者が架けたという植物で編んだ吊り橋だ。日本三奇橋の一つらしい。
 その日は生憎の雨で、橋を渡るためのチケットを買うと、レインコートをしっかりと羽織り直して恐る恐る橋に足を乗せた。
 一歩踏み出す毎に橋全体がミシミシと軋んだ音を立てる。足元を見ると、清流が轟々と音を立てて流れている。ところどころ突き出た岩に水飛沫が跳ね上げる。
 ――落ちたら、死ぬ。
 そう思った途端、「怖い」と感じた。動物としての本能だったのかもしれない。
 人間としては半分死んだようになっていたくせに、死んでしまいたいという思いが脳裏をよぎったこともあったくせに、実際に足を滑らせたら本当に死ぬという状況になって真っ先に思ったことが、「怖い」だったのだ。
 後から対岸の茶店の女将に聞いたところ、20年ほど前は橋板の間隔が30㎝弱もあったそうだ。大人が足を踏み抜くこともあったらしい。今は、靴のサイズ24.5㎝の私が踏み外すことはない間隔に狭まっている。つまり、橋から落ちることは、まずありえない。
 だが、橋の上にいる私はとにかく落ちるまいと必死だった。「死にたくない」とは思わなかったけど、確かに死の危険から逃れようとしていた。
 無事にかずら橋を渡り終えた後、私は自分が感情を取り戻しつつあることを自覚した。

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 その日の宿では、一人部屋にしては広い和室があてがわれた。
 祖谷で買った栗焼酎をそのまま口に含んでいると、舌が溶けていくような感じがした。痛みはない。味蕾がどろどろと溶かされていくような感覚を味わい、ゆっくりと飲み込むと、喉がじんわりと焼けるように熱くなった。
 この土地で幼少期を過ごした父のことを考えた。家で私のことを待ってくれている母のことを想った。受験でひいひい言っているはずの弟のことを思い浮かべた。祖父母の顔を一人一人思い出した。
 酒のせいか、考えごとのせいか、喉元がどんどん熱くなっていく。
 久しぶりに押し寄せた感情の渦に押し流されそうだ。相変わらず「楽しい」「嬉しい」といったポジティブな感情は見当たらないけど、「哀しい」以外の感情がどこからか流れ込んできているのが分かった。
 やっとの思いで唾を飲み込むと、栗焼酎の瓶を仕舞い、新鮮な空気を吸おうと外へ出た。
 意味もなく叫びそうになり、慌てて堪える。それがおかしくて、思わずふふっと笑いを零した。酔っているのかもしれない。それでも、久しぶりに笑えた気がした。私は、足取りも軽くコンビニへと向かった。

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旅行から帰った後、久しぶりに祖父母の家に顔を出した。
祖母が嬉しそうに私にいろいろ話してくれるのを聞きながら、ふと思った。
私自身に生きる積極的な理由はないけど、私が死んだら悲しむ人がいる。生きる理由なんて、そんなもので充分じゃないかと。
本当は自分の使命とか成し遂げるべきこととかを言えた方が良いのだろう。社会に貢献する大人になるべきなのだろう。その方が、有意義な人生を過ごせるのだろう。そう刷り込まれて育って来たし、その考え自体は間違っていないと思う。
だけど、今の私には、劣等感から解放され切っていない私には、そこまでポジティブに考えられないし、生きられない。

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あともうちょっとだけ続きますー独り言ひとりごと。

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