2015年8月13日木曜日

【スペイン語訳】 深海少女/Chica abismal

自分の勉強用。ざっくりとした仮訳。




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深海少女/Chica abismal

作詞/Letras: ゆうゆ(Yu-u-yu)
作曲/Compositor: ゆうゆ(Yu-u-yu)
編曲/Arr.: ゆうゆ(Yu-u-yu)


Estoy hundiendo en el mar de tristeza  No tengo ganas de abrir mis ojos
¿Caeré tan bajo por la eternidad y nadie me encontrará?

¿A dónde voy y qué hago? De repente una línea de luz entra por superficie del agua
Si alcanzo la luz puedo tocarla, pero pierdo la luz porque una ola la se ha llevado

¿Qué ha sido aquella luz?  Calida y deslumbra
Counter-illumination de inconsciencia  ¿Quién es mentiroso?

Chica abismal hundiendo aún más  Se ha encerrado en allende la oscuridad
Chica abismal pero quiere conocer porque ha encontrado a un chico atrayente

En éste lugar no había día ni noche Sin embargo paso muchas noches sin poder dormir
Tú era hermoso nadando con las alas abiertas grandes

Y otra vez vierte la luz  Cuando quedo cautivada la luz, nos encontramos las miradas
La mentirosa es yo...

Chica abismal Hundiendo expresamente las mejillas rojas en la oscuridad
Chica abismal Todavía el mar negro no ha permitido su valor de mostrar la corazón desnuda

Se ha manchado el vestido  Mi sonrie ha estado retorcido feo
No quiero enfrentarme con nadie ¡déjame ya!

Su sentimiento sin voz rebosa y se disuelve
Un momento después, de repente tu desaparece

La chica anciosa da prisa  La oscuridad se oculta él
La chica límite  Alcanza sus manos

“Mira, tú también has ocultado un color maravilloso

Chica abismal  él lleva la chica del brazo  canta marine-snow de felicitación
Chica abismal  quiere conocer más porque ha encontrado a un chico atrayente


Salgo de éste mal y levanto el vuelo ahora


悲しみの海に沈んだ私 目を開けるのも億劫
このままどこまでも堕ちて行き 誰にも見つけられないのかな

どこへ向かい、何をすれば?ふと射し込む一筋の光
手を伸ばせば届きそうだけど 波に拐(さら)われて見失った

あれは一体なんだったのかな あたたかくて眩しかったの
無意識のカウンターイルミネーション 嘘つきの誰?

深海少女 まだまだ沈む 暗闇の彼方へ閉じこもる
深海少女 だけど知りたい 心惹かれるあの人を見つけたから

昼も夜も無かったこの場所 なのに眠れない夜は続く
自由の羽を大きく広げて 泳ぐあなたは奇麗でした

そしてまた光は降り注ぐ 見とれていたら目が合った
気付いてこっちを振り返るあなたに 嘘つきな私

深海少女 わざわざ沈む 暗闇のさなかに赤い頬
深海少女 ハダカの心を見せる勇気 黒い海がまだ許さない

こんなに服は汚れてしまった 笑顔も醜くゆがんでいた
誰にも合わせる顔なんてないの もう放っておいてよ!

声にならない気持ちが溢れてとけた
次の瞬間、君が突然姿を消した

心配性の 彼女は焦る 闇が彼を隠しひとりきり
限界少女 その手を伸ばす

「ほらね、君も素敵な色を隠してた」

深海少女 腕を牽かれる 歌う祝福のマリンスノー
深海少女 もっと知りたい 心惹かれるあの人を見つけたから


この海を出て 今飛び立つの

未来の東京、はじまってた。

昨年華々しくオープンした、虎ノ門ヒルズに、ようやく行ってきました。


"Hello, Mirai Tokyo!"
未来の東京は、ここからはじまる。

2014年6月11日に開業した、超高層ビル。森ビル株式会社が建設、管理している。
52階建て、建築様式は「ポストモダン建築」らしい。
商業施設(レストランやショップ)とオフィス、レジデンス、ホテルが一体となった複合施設だ。ちなみに、レジデンスは、ホテルを経営している「アンダーズ東京」のサービスを受けることができる(有料)。自宅にいながら、ルームサービスを受けられるとか。庶民にはちょっと何の話か分かりませんね!ほてるぐらし!かな。
ちなみに、オフィスやレジデンスゾーンに入るには専用のパスが必要。51、52階のレストランに入るのも同様。セキュリティはばっちり!あんしんあんしん!


1階から4階の商業施設を一通り見て回ったところで、ちょっと一休み。
"THE 3RD CAFE by Standard Coffee" に入ってみた。
最近は金欠でもっぱらチェーンのカフェやファストフードばかりで凌いでいたので、ワクワク感も一入。刺激もありすぎると慣れてつまらなくなるのだ……はは。はははははは。
さて、注文した「ざらめ醤油ロール」とコーヒーは、セットで500円也。東京にしては安い。
どんな不思議な味のロールケーキだろう、とちょっと身構えていたが、なんのことはな、ただのカステラに生クリームを巻き込んだすいーつだった。「スイーツ」というより「すいーつ」って感じ。醤油要素どこに行った。美味しかったけど、なんだか拍子抜けした。
隣接する"ファミマ!!"と店内の雰囲気を統一しているのが良い。
ところで、この"ファミマ!!"、都心のど真ん中にあって、なかなかアグレッシブである。
柱一つ分と少々のスペースを使って書籍を展開しているのだが、話題の文芸書やビジネス書に交じって妙なもの――というよりは、ニッチな趣味のものが堂々と紛れ込んでいるのである。
平凡社ライブラリーの『レズビアン短編小説集』(1998年)、『古典BL小説集』(2015年)、河出文庫の『日本の童貞』(2003年)などなど。ちなみに、『日本の童貞』は三冊並べて置かれていた。なにか彼らに恨みでもあるのか。
先にも書いたが、書籍を置くスペースは極々限られている。その中で、あえてこういった人を選ぶような、買う時に少し躊躇うようなタイトルのものを置くとは、大胆だ。
というか、だ。そもそも、虎ノ門ヒルズに出入りするような人々に、『日本の童貞』ご本人様はいるんだろうか。ああ、ご本人様は買わないか。面白がって買う人はいるだろうね。バリバリ稼いでいるお姉さま方が、『古典BL小説集』と一緒に買っちゃうのかも。
……割とマジで謎のセレクション。本部からの指示にしろ、店員の好みにしろ、悪くないセンスだとは思うけど。ま、欲を言えば、近くにあったAoyama Flower Marketで薔薇や百合の花をさりげなく飾っていたらなおよかったかな。
こうした、アングラめいた趣味のものが新し物好きの人々の目に留まるようになった。そのことを「市民権を得た」と喜べばいいのか、「好奇の目に晒されている」と溜息を吐けばいいのか。
未来の東京、良くも悪くも、はじまってた。


小一時間虎ノ門ヒルズにいて感じたこと。
東京って、やっぱりスケールが大きい。
先日ふらっと行った湘南・鎌倉は、お洒落になりつつあるけど、なんだかこじんまりしている。特に鎌倉は建築規制の影響もあるのだろうけど……。
湘南・鎌倉地域に、虎ノ門ヒルズ的な物は建たないだろう、と思った。そして、建たなくて良い、とも。
同じ「お洒落」あるいは「高級感」を出すにしても、種類というか系統が違うんだろうなあ。

2015年8月8日土曜日

【感想】※ただしコミュ力の高い奴に限る。イケメンならなお良し。『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』

岡田斗司夫『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』PHP研究所、2014年。<新書>


年明け早々「七股疑惑」やら何やらでネットで大炎上した岡田氏の著書。サクッと読めて、なかなかに示唆に富んでいる。プライベートではいろいろとやらかしているようだが、評論自体は悪くない。
こういったスキャンダルは文学界隈でも芸能界隈でも往々にしてあることだし、今回も、人間性と著作物とは切り離して考える。
……どうしても、「なるほど」「こういう考え方もあるのね!」と感心した直後に、「だが七股だ」という言葉が脳裏を過ってしまうが。


さて、本書で強調されているのは、職や生き方に対する価値観の変化だ。

明治時代から今までは、「単職」つまり一つの会社で定年まで勤め上げることが主流だった。だから、できれば大企業に入った方が良い、と考えられていた(実は生涯年収を考えると中小企業と大企業の格差は小さいのだが、ここでは深く突っ込まない)。
しかし、これからは、「多職」の時代だという。江戸時代までの百姓(=たくさんの仕事・手伝いをする人々)*1のように、一つの仕事に頼り切らない、と言うのだ。百姓を例にすると、彼らは、農業を基本としつつ、草履を編んだり行商に出掛けたり工事現場で人足として働いたりと、農作物と現金収入を得ていた。これと同じように、例えば、50の仕事をしていて三分の一がダメになっても、なんとか食いつないでいけるのではないか、というアイデアらしい。
   *1 農民という意味での「百姓」の由来は、姓(かばね)を持つすべての人民をさすことから(ブリタニカ国際大百科事典より)。岡田氏の意図するところは分かるが、不正確である。


グローバル化の時代に、あえてローカル(地元・地縁・血縁)を重視する視点は好ましく思った。
さらに言えば、「グローバル」という分かったようで分からないふわふわした概念よりも、地に足の着いたローカル思考の方が、生物としての人間の生き方として自然なのではないか、と感じた。

岡田氏の掲げる「評価経済」も、互いの顔が認識できるコミュニティでこそ真価を発揮する。日本人は、明治以降の貨幣経済、特に高度経済成長期は、お金と引き換えに人間関係を希薄にして来た。でも、それは日本史上特異な時代・出来事であるという。
私は、都市で生まれ育った。概ね淡白な人間関係のなかで生きてきた。確かに、お金はいろいろなことを引き換えてきた――日々の食事(田舎の親戚の家には当然のように畑がある)の材料、独学心の低下(とりあえず教えてもらおうという安易な考え)などなど。
「商売人―客」という関係だけでとりあえず毎日を過ごせてしまうのだ。家族がいなくても、友達がいなくても、地域に知り合いがいなくても。でも、これって生きてて楽しいのだろうか。逆に、窒息しそうなほど濃密な人間関係の中で暮らすのは、果たして理想的なのだろうか。私たちは、それが嫌で都市に出てきたのではないか?

いずれにしろ、これからまた、人間関係が生きていく上で大切になる時代になっていくのかもしれない。安倍首相や経済界は頭が痛いだろうが、経済指標的に貧しくなって言っても、それがイコール人間的生活の貧しさになるわけではない。『里山資本主義』にも繋がっていく考えだけど、金銭では測れないものが表舞台に姿を現しつつあるのだ。日本はもうすでに明治以降、特にバブル以降の思考を変え、経済構造を根本的に変える時期に来ているのだと思う。その大きな機会が、3.11になるはずだった。はずだったのだが、そう上手くいかないものだ。



……ちなみに。
私はいま生きていて特別楽しいと思っているわけではない。
むしろ、毎日が霞んでいてつまらない。苦しい。
都市の片隅でひっそりと苦しんでいたとしても、誰にも気づかれない。
その恐ろしさを恐ろしいと思えない自分の感覚が、恐ろしい。



BGM
#ロミオとジュリエット
#モザイクロール

2015年8月1日土曜日

【感想】よく晴れた群青色の空の日に読んで。『ギンカムロ』

美奈川護『ギンカムロ』、集英社、2015年。



花火をめぐる物語。
花火職人という、珍しい、だが夏にぴったりの題材だ。

舞台は、日本の田舎のどこか。たぶん、海はなく、山間に清流が流れる、美しくも閉鎖的な村だ。
「高峰煙火工業」四代目・高峰昇一は、高校卒業以来、東京でフリーター生活を送りつつも、心の奥底では「花火が好き」だという思いを燻らせ続けていた。
彼が小学生だった頃、家業の煙火製造所の爆発事故で両親を亡くしたことがトラウマとなっていて、花火は録画したものを無音で見るだけになっていた。ところが、祖父で二代目の高峰伊織からの呼び戻しをきっかけに、再び花火そのものに向き合うことになる。
伊織の弟子になって七年目になる謎めいた女性・風間絢、お祭り好きのチャラ男・申島健斗、IT系ブラック企業で過労死寸前まで追い詰められて逃げ出してきた年齢不詳の男・井口多聞。
祖父への反発心を覚えつつも、「高峰煙火工業」で働く一癖も二癖もある謎めいた若者たちと共に花火に向き合うことで、花火職人としての自覚と覚悟を固めていく昇一。それは同時に、過去との対峙であり清算であり、祖父に対する真の理解であり、赦しであり、慰めであった。


決して楽しく愉快なお話ではない。くすりと笑えるシーンはあるが(実際のところ、あっけらかんとした申島がいないと重苦しくなりすぎ、彼は良いキャラクターだ)、基本的には静かで、淡々としていて、仄暗い。だからこそ、花火にまつわる色の描写が際立ち、瞼の裏にそのイメージが鮮烈に浮かび上がるのだ。

この物語の登場人物は、みんな心に傷を――いや、闇を抱えている。
事故で両親を亡くした昇一、息子夫婦と孫娘を失くした伊織。
家のプライドに翻弄された挙句「災厄を持ち込んだ」と疎まれた絢、最愛の娘を失くした高良瀬。
彼らの傷を癒し、闇を照らすのが、花火だ。
花火の中でも、タイトルにもなっている「銀冠(ギンカムロ)」の銀は鎮魂の色だそう。
大切な人を失くした彼らだけじゃない。依頼人の若いカップルも、西宮夫婦も、それぞれ花火を上げることに、祈りにも似た気持ちを込めている。

夏至をとっくに過ぎたとはいえ、今の季節、つまり夏は一年で最も生命力の強い季節だと思う。
太陽はギラギラと輝き、蝉をはじめ様々な虫は大合唱し、雑草はものすごい勢いで生い茂り、街路樹の艶やかな葉や花が街に溢れている。街ですらそうなのだ。村にいたら、もっと力強い生命を感じ取れるだろう。
同時に、夏はまた、一年で最も「死」を感じさせる季節だ、と思う。
虫の死骸がそここに転がり落ち、水溜りは腐敗して濁っている。伸びすぎた樹木が無造作に切られていることもある。
そして、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、第二次世界大戦敗戦。
「死」を連想する機会は、冬より夏の方が多い。唐突に、そんなことを考える。普段はなんとなく隠れていたり隠されていたりする「死」が、白日ならぬ炎天下に晒されるのだ。

最初から最後まで「死」が陰に陽にちらつく物語を読みながら、いったい日本人にとって夏とはどういう季節なんだろう、と思った。生を楽しむ季節なのか、死を悼む季節なのか。
両方だろう、と思う。
生と死は隣り合わせなのだから。


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