2015年8月1日土曜日

【感想】よく晴れた群青色の空の日に読んで。『ギンカムロ』

美奈川護『ギンカムロ』、集英社、2015年。



花火をめぐる物語。
花火職人という、珍しい、だが夏にぴったりの題材だ。

舞台は、日本の田舎のどこか。たぶん、海はなく、山間に清流が流れる、美しくも閉鎖的な村だ。
「高峰煙火工業」四代目・高峰昇一は、高校卒業以来、東京でフリーター生活を送りつつも、心の奥底では「花火が好き」だという思いを燻らせ続けていた。
彼が小学生だった頃、家業の煙火製造所の爆発事故で両親を亡くしたことがトラウマとなっていて、花火は録画したものを無音で見るだけになっていた。ところが、祖父で二代目の高峰伊織からの呼び戻しをきっかけに、再び花火そのものに向き合うことになる。
伊織の弟子になって七年目になる謎めいた女性・風間絢、お祭り好きのチャラ男・申島健斗、IT系ブラック企業で過労死寸前まで追い詰められて逃げ出してきた年齢不詳の男・井口多聞。
祖父への反発心を覚えつつも、「高峰煙火工業」で働く一癖も二癖もある謎めいた若者たちと共に花火に向き合うことで、花火職人としての自覚と覚悟を固めていく昇一。それは同時に、過去との対峙であり清算であり、祖父に対する真の理解であり、赦しであり、慰めであった。


決して楽しく愉快なお話ではない。くすりと笑えるシーンはあるが(実際のところ、あっけらかんとした申島がいないと重苦しくなりすぎ、彼は良いキャラクターだ)、基本的には静かで、淡々としていて、仄暗い。だからこそ、花火にまつわる色の描写が際立ち、瞼の裏にそのイメージが鮮烈に浮かび上がるのだ。

この物語の登場人物は、みんな心に傷を――いや、闇を抱えている。
事故で両親を亡くした昇一、息子夫婦と孫娘を失くした伊織。
家のプライドに翻弄された挙句「災厄を持ち込んだ」と疎まれた絢、最愛の娘を失くした高良瀬。
彼らの傷を癒し、闇を照らすのが、花火だ。
花火の中でも、タイトルにもなっている「銀冠(ギンカムロ)」の銀は鎮魂の色だそう。
大切な人を失くした彼らだけじゃない。依頼人の若いカップルも、西宮夫婦も、それぞれ花火を上げることに、祈りにも似た気持ちを込めている。

夏至をとっくに過ぎたとはいえ、今の季節、つまり夏は一年で最も生命力の強い季節だと思う。
太陽はギラギラと輝き、蝉をはじめ様々な虫は大合唱し、雑草はものすごい勢いで生い茂り、街路樹の艶やかな葉や花が街に溢れている。街ですらそうなのだ。村にいたら、もっと力強い生命を感じ取れるだろう。
同時に、夏はまた、一年で最も「死」を感じさせる季節だ、と思う。
虫の死骸がそここに転がり落ち、水溜りは腐敗して濁っている。伸びすぎた樹木が無造作に切られていることもある。
そして、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、第二次世界大戦敗戦。
「死」を連想する機会は、冬より夏の方が多い。唐突に、そんなことを考える。普段はなんとなく隠れていたり隠されていたりする「死」が、白日ならぬ炎天下に晒されるのだ。

最初から最後まで「死」が陰に陽にちらつく物語を読みながら、いったい日本人にとって夏とはどういう季節なんだろう、と思った。生を楽しむ季節なのか、死を悼む季節なのか。
両方だろう、と思う。
生と死は隣り合わせなのだから。


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