2015年8月8日土曜日

【感想】※ただしコミュ力の高い奴に限る。イケメンならなお良し。『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』

岡田斗司夫『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』PHP研究所、2014年。<新書>


年明け早々「七股疑惑」やら何やらでネットで大炎上した岡田氏の著書。サクッと読めて、なかなかに示唆に富んでいる。プライベートではいろいろとやらかしているようだが、評論自体は悪くない。
こういったスキャンダルは文学界隈でも芸能界隈でも往々にしてあることだし、今回も、人間性と著作物とは切り離して考える。
……どうしても、「なるほど」「こういう考え方もあるのね!」と感心した直後に、「だが七股だ」という言葉が脳裏を過ってしまうが。


さて、本書で強調されているのは、職や生き方に対する価値観の変化だ。

明治時代から今までは、「単職」つまり一つの会社で定年まで勤め上げることが主流だった。だから、できれば大企業に入った方が良い、と考えられていた(実は生涯年収を考えると中小企業と大企業の格差は小さいのだが、ここでは深く突っ込まない)。
しかし、これからは、「多職」の時代だという。江戸時代までの百姓(=たくさんの仕事・手伝いをする人々)*1のように、一つの仕事に頼り切らない、と言うのだ。百姓を例にすると、彼らは、農業を基本としつつ、草履を編んだり行商に出掛けたり工事現場で人足として働いたりと、農作物と現金収入を得ていた。これと同じように、例えば、50の仕事をしていて三分の一がダメになっても、なんとか食いつないでいけるのではないか、というアイデアらしい。
   *1 農民という意味での「百姓」の由来は、姓(かばね)を持つすべての人民をさすことから(ブリタニカ国際大百科事典より)。岡田氏の意図するところは分かるが、不正確である。


グローバル化の時代に、あえてローカル(地元・地縁・血縁)を重視する視点は好ましく思った。
さらに言えば、「グローバル」という分かったようで分からないふわふわした概念よりも、地に足の着いたローカル思考の方が、生物としての人間の生き方として自然なのではないか、と感じた。

岡田氏の掲げる「評価経済」も、互いの顔が認識できるコミュニティでこそ真価を発揮する。日本人は、明治以降の貨幣経済、特に高度経済成長期は、お金と引き換えに人間関係を希薄にして来た。でも、それは日本史上特異な時代・出来事であるという。
私は、都市で生まれ育った。概ね淡白な人間関係のなかで生きてきた。確かに、お金はいろいろなことを引き換えてきた――日々の食事(田舎の親戚の家には当然のように畑がある)の材料、独学心の低下(とりあえず教えてもらおうという安易な考え)などなど。
「商売人―客」という関係だけでとりあえず毎日を過ごせてしまうのだ。家族がいなくても、友達がいなくても、地域に知り合いがいなくても。でも、これって生きてて楽しいのだろうか。逆に、窒息しそうなほど濃密な人間関係の中で暮らすのは、果たして理想的なのだろうか。私たちは、それが嫌で都市に出てきたのではないか?

いずれにしろ、これからまた、人間関係が生きていく上で大切になる時代になっていくのかもしれない。安倍首相や経済界は頭が痛いだろうが、経済指標的に貧しくなって言っても、それがイコール人間的生活の貧しさになるわけではない。『里山資本主義』にも繋がっていく考えだけど、金銭では測れないものが表舞台に姿を現しつつあるのだ。日本はもうすでに明治以降、特にバブル以降の思考を変え、経済構造を根本的に変える時期に来ているのだと思う。その大きな機会が、3.11になるはずだった。はずだったのだが、そう上手くいかないものだ。



……ちなみに。
私はいま生きていて特別楽しいと思っているわけではない。
むしろ、毎日が霞んでいてつまらない。苦しい。
都市の片隅でひっそりと苦しんでいたとしても、誰にも気づかれない。
その恐ろしさを恐ろしいと思えない自分の感覚が、恐ろしい。



BGM
#ロミオとジュリエット
#モザイクロール

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