10月1日にリニューアルオープンした、海老名市立中央図書館(神奈川県)に行ったときの感想。
TSUTAYAなどを運営するCCCと手を組み、サービス向上を図ろうとしていたが、一番肝心な選書で揺れている、との情報を得たので、冷やかしに行くことにした。10月7日に行ったきりなので、いろいろ曖昧です……。
まずは入り口。
ライセンス契約を結んでいるであろうスターバックスを左手に、正面や右手にはTSUTAYAが売っている雑誌をメインとした書籍と雑貨がドーンと陳列。ここは図書館と言うよりは書店なので、ガヤガヤとした雰囲気。子連れの人が気軽に来れそうだけど、海老名市民の税金で賄われているであろう公立の建物・サービスで商売っ気を露骨に出していることには違和感を覚えました。
書籍は、比較的新しい単行本や文庫が中心。あと雑誌の最新号。
2階に上がれば、もう図書館。
ただし、場所によっては1階の喧騒やBGMが響いてうるさい。
3階は広い学習スペースがある。席数は数えていませんが、公立図書館にしては多いのかな。
夕方になると、制服姿の高校生でいっぱい。部活の道具を引っ提げた子が多かった印象。
元々図書館を活用する土地柄なのか、新しいものができたのでとりあえず見に来たのかは不明。まあ民間業者の手を借りるくらいだから後者だろうな……。
ひとしきりキャアキャアギャーギャー騒いだ後は、「席がないねえ」とあっさり帰った模様。完全に高校にいるときのノリだった。私は真面目に勉強していなかったし、懐かしかったので、生暖かく見守っていました。本当はTSUTAYAの制服を着たスタッフだか司書さんだかが注意すべきなんですけどね。
営利団体だと注意しにくいのかな、気付かなかっただけかな。この対応は少し気になりますね。
4階は「こどもとしょかん(キッズライブラリー)」。
プラネタリウム跡地。
父子が仲良く電車の模型と一緒に写真を撮っていて微笑ましかったです、まる
そして、地下1階。
秘密基地みたいでした。小説がずらっと並んでいて圧巻。雰囲気が良い。
全体的な感想は、「取り組みとしては面白いが、長続きするかは怪しい」。
既に散々指摘されていることですが、書籍の分類法が独特で、図書館に慣れている人は戸惑うでしょう。一応、検索機はありますが、そういう問題でもないような。若者はすぐに順応できそうですが、図書館の利用者はシニア層が多いことを考えると、その辺どうなんでしょう。
2015年10月27日火曜日
2015年10月26日月曜日
哲学的ゾンビの憂鬱
挨拶的な何か、
木枯らしが吹き荒ぶ季節になりましたね。西の空がなんとも言えず美しい。
沈みゆく日が、雲を淡い桃色に染め、山は影に、空は水平線から大きな虹のような色の七変化を作り出している。
この文章を書き終える頃、もう一度西方を眺めれば、日は山影に沈み、僅かに残っている橙色がどんどん暗闇に飲まれていく。
……お久しぶりです。前回の記事は残暑の厳しい頃でしたね……。
あと近況とか
最近、ブクログなるものを始めてみました。こちらに記載していて本の感想をお引越しさせるか検討中です。
でも、このブログから本の話題を取ったら何にも残らないので、本以外の記事が書けるようになるまでは保留かな……。
哲学的ゾンビは何を知っているのか
「哲学的ゾンビ」という思考実験をご存じだろうか?
……ご存じ、ないのですか!?
彼/彼女こそ、「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」、哲学的ゾンビちゃんです!
こらー!真面目にやランカ!
……さて。
「哲学的ゾンビ」、にちゃんねる哲学板あたりで取り上げられているのを偶然目にして知りました。
ちょっと心に引っ掛かることがあったので、ググったり飲茶氏の書籍をパラパラ捲ったりしてみることに。
この思考実験で重要なのは、意識(クオリア)の有無。
そして、その意識(クオリア)は人間の機能的には不自然である、らしい。
意識がなくても、人間は社会生活をきちんと送れるという。例えば、「抓られた」ら「痛いと感じる」という肉体的感覚、「格好良い先輩とお話しできた」ら「女友達とキャーキャー騒ぐ」という反応。
「美しい夕日を眺め」て、「綺麗と呟く」あるいは「誰かに伝えようと文章や絵で描いてみる」。
これらは人間様の特権でもなんでもなく、将来精密なロボットが再現できそうなことだ。もちろん、そのロボットに意識はないだろう。
そもそも。
私は誰?アイデンティティって何?私のオリジナリティって?
人間は、生まれる前から、ある程度どう成長するか、心身共に予想が付く生き物だ。
ホモ・サピエンス・サピエンスそのものが内包する特徴。両親・祖父母をはじめ親戚からの遺伝。そして、育つ環境。
私の場合、生まれた時は父方の親戚によく似た見た目をしていた。
中学から高校にかけて、人並に反抗期を迎えた。多少、暴力的な衝動があり、夜な夜な自室で枕を殴りつけた。ひょんなことから、祖母が若い頃、怒り狂って皿をぶん投げていたことを知った。激しい気性は血筋らしい。
知らない人に対して無意識のうちに猫を被ってしまう性格も祖母譲りだ。大したことが無くても大袈裟に騒ぎ立ててしまう性分、学問好きな傾向、運動好き、etc.どれも「すみかのオリジナル」ではなく「親戚の誰かと似ている」。
冷静に考えれば、何にも依らない、100%のオリジナルである人間なんて存在しない。それは、人間ではない。
でも、私という存在のアイデンティティは何かと問われると、一気に不安定になる。
だって、先に挙げたような特徴(=情報、データ)をぎゅっと詰め込んだヒト型の何かが現れたら。
私とソイツのどちらが本物か、分からないじゃないか。
哲学的ゾンビの問題について考え始めると、背筋が寒くなる。
考えれば考えるほど、世界が、自分が、不確かな存在となっていく。
ところで、哲学的ゾンビは、ゾンビ自身が「意識(クオリア)を持たないこと」を知っているのだろうか?
例えば、高校生、人間だったら思春期真っ只中のゾンビちゃんに、
「実はあなたは哲学的ゾンビで、自分の意識(クオリア)なんてないのよ」
と言ったら、どうなるだろうか?
戸惑うか、泣き出すか、鼻で笑うか、それとも、悩み始めちゃって「鬱」になるか。
……哲学的ゾンビ狩り、なんてことがあったらやってみたいなあ。
<参考文献>
飲茶『哲学的な何か、あと科学とか』二見書房、2006年。
BGM
# God knows...
# 【MEIKO】咲音メイコ「星間飛行」
2015年9月7日月曜日
【感想】資本主義の、その先へ。『里海資本論』
●井上恭介、NHK「里海」取材班『里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く』KADOKAWA、2015年。
前作『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』(2013年)が良書だったので、期待して購入。
軽くおさらいしておくと、『里山資本主義』では、「マッチョな経済」の限界を指摘、GDPなどの数字では表せない豊かさを提示してみせた。ただし、タイトルが表す通り、資本主義自体は否定しなかった。あくまで、現行の経済システム(=資本主義)を改善しつつ、マネーに依存しないサブシステムの在り方を、木材などの例を挙げて説明、提案するにとどまっていた。
経済政策を重んじる安倍首相を始め、経済界の人々は憤慨するかもしれない内容だが、「経済ってなんだっけ?」という原点に立ち返るときに、案外重要な視点になると思う。通勤、通学の電車内で読み切れる分量だ。また、文章も読みやすいので、オススメ。
さて、今回取り上げる『里海資本論』について。
まず注目したいのが、タイトル。
『里山資本主義』と『里海資本論』。そう、資本主義から資本論へ、進化したのだ。
「資本論」といえば真っ先に思い浮かぶのが、マルクスやエンゲルスらによる『資本論』だ。資本主義と対立する、共産主義、社会主義などを連想させる用語を、なぜ用いたのか。取材班は、資本主義に見切りをつけたのか?
そうではない。「マッチョな経済」、つまり資本主義のどん詰まりの末に生まれざるを得なかったのが、「里海資本論」だったのだ。
「マッチョな経済」では、経済成長の踏み台として、地球環境を犠牲にしてきた。しかし、人間も地球に住む生物の一種である以上、破壊された自然の中では生きていけない。つまり、地球環境も経済成長も、搾取する一方では、いずれ必ず限界を迎える。資本主義は、限界を伴うのだ。そして、その限界は、もしかすると人類の滅亡、地球の破壊なのかもしれない。
そんな資本主義経済に異を唱えたのが、19世紀のマルクスやエンゲルスであり、21世紀の「里海資本論」である。
「はじめに」で紹介された「里海」「SATOUMI」の学術用語としての定義は、「人手が加わることによって生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」だ。
今作の主な舞台は、瀬戸内海。高度経済成長期に「死の海」と成り果てた瀬戸内海の復活と再生を軸に、話が展開する。
工場排水などの化学物質で汚染された「死の海」を復活させたのは、地元の漁師と水産試験場(現・水産研究所)の研究員ら。廃れかけた伝統の中から、復活の糸口を探っていく。ここで重要なのが、対抗する化学物質を投入したり排水制限したりといった一時的な対処療法で終わらなかったこと。カキ筏やアマモなど、地元の人たちでさえ忘れかけていた伝統的な営みに地道に取り組んできたことこそが、復活のカギとなった。伝統の一部が復活したことにより、連鎖的に昔の記憶が浮かび上がり、人と自然が有機的に関わっていくことになる。特に村上海賊の末裔の活躍ぶりには舌を巻いた。
「里海」「SATOUMI」これら学術用語は、「瀬戸内海生まれ日本発」だという。
なぜ、日本発なのか。
それは、宗教観にも結び付いているという。
資本主義が、キリスト教という一神教を背景に持つことは有名である。そして、科学によって自然を屈服させ、搾取することに違和感を覚えないのも、一神教的発想であることは否めない。
日本人は、ときに「無宗教だ」と言われることもあるが、基本的には八百万の神々を信仰している。山や川、海といった自然を祀り、一粒の米に七人の神々を見る。神々と人間は、自然の中で共存しているのだ。
日本的発想に基づけば、人間も、神々のおわします自然の一員として、自然に働きかけることは悪いことではない。むしろ、自然環境を破壊したのなら、積極的に修復する手助けをすべきなのである。アダム=スミスが期待したような、一神教的「神の手」が修復してくださることはないのだから。
私は、都市に住む人間だ。
遠い親戚で田舎に住む人たちはいるが、交流はあまりない。
だから、『里山資本主義』を読んだときも、『里海資本論』を読み終わったときも、大いに魅力を感じつつも、どこか他人事であると感じたことを、正直に告白しよう。あと、些かユートピア過ぎやしないかと思ったことも。
都市に住み、資本主義を象徴するお金で生活する。食材、水道、光熱、書籍、パソコンなどの電子機器。大学や塾。博物館や美術館。第一次産業品も第二次産業品も第三次産業のサービスも、全部全部お金で買っている。お金でモノやサービスを消費することに、あまりにも慣れ過ぎている。衣食住、全て顔も知らない誰かに任せっきり。これは、生物の生き方としてはとても危うく、もっと言ってしまえば、間違っていると心のどこかで思いつつも、この生活を手放す勇気はない。
それでも、世界の最先端で、こういった動きがあることを知れたことで大いに勉強になった。
本書に出てくる人は、老若男女を問わず、皆元気そのもの。都市で精神が半分死にかけている私には、とっても眩しい。
田舎暮らしって、カッコイイ、楽しそう。
多くの人が本心からそう思い、都市から田舎へ移住する流れが決定的になったとき、日本社会はまた新たな局面に入っていくのだろう。
まだまだ私は、その流れには乗れない。どうして乗れないのかが分かれば、地方創生の微力な一助になる気がする。が、この記事とは関係ないので、今回はここまで。
里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く (角川新書) amazon.com
里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く (角川新書) amazon.com
2015年8月13日木曜日
【スペイン語訳】 深海少女/Chica abismal
自分の勉強用。ざっくりとした仮訳。
----------------------------------
深海少女/Chica abismal
作詞/Letras: ゆうゆ(Yu-u-yu)
作曲/Compositor: ゆうゆ(Yu-u-yu)
編曲/Arr.: ゆうゆ(Yu-u-yu)
Estoy hundiendo
en el mar de tristeza No tengo ganas de
abrir mis ojos
¿Caeré
tan bajo por la eternidad y nadie me encontrará?
¿A
dónde voy y qué hago? De repente una línea de luz entra por superficie del agua
Si
alcanzo la luz puedo tocarla, pero pierdo la luz porque una ola la se ha
llevado
¿Qué ha
sido aquella luz? Calida y deslumbra
Counter-illumination
de inconsciencia ¿Quién es mentiroso?
Chica abismal hundiendo aún más Se ha encerrado en allende la oscuridad
Chica abismal pero quiere conocer porque ha
encontrado a un chico atrayente
En éste lugar no había día ni noche Sin
embargo paso muchas noches sin poder dormir
Tú era hermoso nadando con las alas abiertas
grandes
Y otra vez vierte la luz Cuando quedo cautivada la luz, nos
encontramos las miradas
La mentirosa es yo...
Chica abismal Hundiendo expresamente las
mejillas rojas en la oscuridad
Chica abismal Todavía el mar negro no ha
permitido su valor de mostrar la corazón desnuda
Se ha manchado el vestido Mi sonrie ha estado retorcido feo
No quiero enfrentarme con nadie ¡déjame ya!
Su sentimiento sin voz rebosa y se disuelve
Un momento después, de repente tu desaparece
La chica anciosa da prisa La oscuridad se oculta él
La chica límite Alcanza sus manos
“Mira, tú también has ocultado un color
maravilloso
Chica abismal él lleva la chica del brazo canta marine-snow de felicitación
Chica abismal quiere conocer más porque ha encontrado a un
chico atrayente
Salgo de éste mal y levanto el vuelo ahora
悲しみの海に沈んだ私 目を開けるのも億劫
このままどこまでも堕ちて行き 誰にも見つけられないのかな
どこへ向かい、何をすれば?ふと射し込む一筋の光
手を伸ばせば届きそうだけど 波に拐(さら)われて見失った
あれは一体なんだったのかな あたたかくて眩しかったの
無意識のカウンターイルミネーション 嘘つきの誰?
深海少女 まだまだ沈む 暗闇の彼方へ閉じこもる
深海少女 だけど知りたい 心惹かれるあの人を見つけたから
昼も夜も無かったこの場所 なのに眠れない夜は続く
自由の羽を大きく広げて 泳ぐあなたは奇麗でした
そしてまた光は降り注ぐ 見とれていたら目が合った
気付いてこっちを振り返るあなたに 嘘つきな私…
深海少女 わざわざ沈む 暗闇のさなかに赤い頬
深海少女 ハダカの心を見せる勇気 黒い海がまだ許さない
こんなに服は汚れてしまった 笑顔も醜くゆがんでいた
誰にも合わせる顔なんてないの もう放っておいてよ!
声にならない気持ちが溢れてとけた
次の瞬間、君が突然姿を消した
心配性の 彼女は焦る 闇が彼を隠しひとりきり
限界少女 その手を伸ばす
「ほらね、君も素敵な色を隠してた」
深海少女 腕を牽かれる 歌う祝福のマリンスノー
深海少女 もっと知りたい 心惹かれるあの人を見つけたから
この海を出て 今飛び立つの
未来の東京、はじまってた。
昨年華々しくオープンした、虎ノ門ヒルズに、ようやく行ってきました。
"Hello, Mirai Tokyo!"
未来の東京は、ここからはじまる。
2014年6月11日に開業した、超高層ビル。森ビル株式会社が建設、管理している。
52階建て、建築様式は「ポストモダン建築」らしい。
商業施設(レストランやショップ)とオフィス、レジデンス、ホテルが一体となった複合施設だ。ちなみに、レジデンスは、ホテルを経営している「アンダーズ東京」のサービスを受けることができる(有料)。自宅にいながら、ルームサービスを受けられるとか。庶民にはちょっと何の話か分かりませんね!ほてるぐらし!かな。
ちなみに、オフィスやレジデンスゾーンに入るには専用のパスが必要。51、52階のレストランに入るのも同様。セキュリティはばっちり!あんしんあんしん!
1階から4階の商業施設を一通り見て回ったところで、ちょっと一休み。
"THE 3RD CAFE by Standard Coffee" に入ってみた。
最近は金欠でもっぱらチェーンのカフェやファストフードばかりで凌いでいたので、ワクワク感も一入。刺激もありすぎると慣れてつまらなくなるのだ……はは。はははははは。
さて、注文した「ざらめ醤油ロール」とコーヒーは、セットで500円也。東京にしては安い。
どんな不思議な味のロールケーキだろう、とちょっと身構えていたが、なんのことはな、ただのカステラに生クリームを巻き込んだすいーつだった。「スイーツ」というより「すいーつ」って感じ。醤油要素どこに行った。美味しかったけど、なんだか拍子抜けした。
隣接する"ファミマ!!"と店内の雰囲気を統一しているのが良い。
ところで、この"ファミマ!!"、都心のど真ん中にあって、なかなかアグレッシブである。
柱一つ分と少々のスペースを使って書籍を展開しているのだが、話題の文芸書やビジネス書に交じって妙なもの――というよりは、ニッチな趣味のものが堂々と紛れ込んでいるのである。
平凡社ライブラリーの『レズビアン短編小説集』(1998年)、『古典BL小説集』(2015年)、河出文庫の『日本の童貞』(2003年)などなど。ちなみに、『日本の童貞』は三冊並べて置かれていた。なにか彼らに恨みでもあるのか。
先にも書いたが、書籍を置くスペースは極々限られている。その中で、あえてこういった人を選ぶような、買う時に少し躊躇うようなタイトルのものを置くとは、大胆だ。
というか、だ。そもそも、虎ノ門ヒルズに出入りするような人々に、『日本の童貞』ご本人様はいるんだろうか。ああ、ご本人様は買わないか。面白がって買う人はいるだろうね。バリバリ稼いでいるお姉さま方が、『古典BL小説集』と一緒に買っちゃうのかも。
……割とマジで謎のセレクション。本部からの指示にしろ、店員の好みにしろ、悪くないセンスだとは思うけど。ま、欲を言えば、近くにあったAoyama Flower Marketで薔薇や百合の花をさりげなく飾っていたらなおよかったかな。
こうした、アングラめいた趣味のものが新し物好きの人々の目に留まるようになった。そのことを「市民権を得た」と喜べばいいのか、「好奇の目に晒されている」と溜息を吐けばいいのか。
未来の東京、良くも悪くも、はじまってた。
小一時間虎ノ門ヒルズにいて感じたこと。
東京って、やっぱりスケールが大きい。
先日ふらっと行った湘南・鎌倉は、お洒落になりつつあるけど、なんだかこじんまりしている。特に鎌倉は建築規制の影響もあるのだろうけど……。
湘南・鎌倉地域に、虎ノ門ヒルズ的な物は建たないだろう、と思った。そして、建たなくて良い、とも。
同じ「お洒落」あるいは「高級感」を出すにしても、種類というか系統が違うんだろうなあ。
"Hello, Mirai Tokyo!"
未来の東京は、ここからはじまる。
2014年6月11日に開業した、超高層ビル。森ビル株式会社が建設、管理している。
52階建て、建築様式は「ポストモダン建築」らしい。
商業施設(レストランやショップ)とオフィス、レジデンス、ホテルが一体となった複合施設だ。ちなみに、レジデンスは、ホテルを経営している「アンダーズ東京」のサービスを受けることができる(有料)。自宅にいながら、ルームサービスを受けられるとか。庶民にはちょっと何の話か分かりませんね!ほてるぐらし!かな。
ちなみに、オフィスやレジデンスゾーンに入るには専用のパスが必要。51、52階のレストランに入るのも同様。セキュリティはばっちり!あんしんあんしん!
1階から4階の商業施設を一通り見て回ったところで、ちょっと一休み。
"THE 3RD CAFE by Standard Coffee" に入ってみた。
最近は金欠でもっぱらチェーンのカフェやファストフードばかりで凌いでいたので、ワクワク感も一入。刺激もありすぎると慣れてつまらなくなるのだ……はは。はははははは。
さて、注文した「ざらめ醤油ロール」とコーヒーは、セットで500円也。東京にしては安い。
どんな不思議な味のロールケーキだろう、とちょっと身構えていたが、なんのことはな、ただのカステラに生クリームを巻き込んだすいーつだった。「スイーツ」というより「すいーつ」って感じ。醤油要素どこに行った。美味しかったけど、なんだか拍子抜けした。
隣接する"ファミマ!!"と店内の雰囲気を統一しているのが良い。
ところで、この"ファミマ!!"、都心のど真ん中にあって、なかなかアグレッシブである。
柱一つ分と少々のスペースを使って書籍を展開しているのだが、話題の文芸書やビジネス書に交じって妙なもの――というよりは、ニッチな趣味のものが堂々と紛れ込んでいるのである。
平凡社ライブラリーの『レズビアン短編小説集』(1998年)、『古典BL小説集』(2015年)、河出文庫の『日本の童貞』(2003年)などなど。ちなみに、『日本の童貞』は三冊並べて置かれていた。なにか彼らに恨みでもあるのか。
先にも書いたが、書籍を置くスペースは極々限られている。その中で、あえてこういった人を選ぶような、買う時に少し躊躇うようなタイトルのものを置くとは、大胆だ。
というか、だ。そもそも、虎ノ門ヒルズに出入りするような人々に、『日本の童貞』ご本人様はいるんだろうか。ああ、ご本人様は買わないか。面白がって買う人はいるだろうね。バリバリ稼いでいるお姉さま方が、『古典BL小説集』と一緒に買っちゃうのかも。
……割とマジで謎のセレクション。本部からの指示にしろ、店員の好みにしろ、悪くないセンスだとは思うけど。ま、欲を言えば、近くにあったAoyama Flower Marketで薔薇や百合の花をさりげなく飾っていたらなおよかったかな。
こうした、アングラめいた趣味のものが新し物好きの人々の目に留まるようになった。そのことを「市民権を得た」と喜べばいいのか、「好奇の目に晒されている」と溜息を吐けばいいのか。
未来の東京、良くも悪くも、はじまってた。
小一時間虎ノ門ヒルズにいて感じたこと。
東京って、やっぱりスケールが大きい。
先日ふらっと行った湘南・鎌倉は、お洒落になりつつあるけど、なんだかこじんまりしている。特に鎌倉は建築規制の影響もあるのだろうけど……。
湘南・鎌倉地域に、虎ノ門ヒルズ的な物は建たないだろう、と思った。そして、建たなくて良い、とも。
同じ「お洒落」あるいは「高級感」を出すにしても、種類というか系統が違うんだろうなあ。
2015年8月8日土曜日
【感想】※ただしコミュ力の高い奴に限る。イケメンならなお良し。『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』
岡田斗司夫『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』PHP研究所、2014年。<新書>
年明け早々「七股疑惑」やら何やらでネットで大炎上した岡田氏の著書。サクッと読めて、なかなかに示唆に富んでいる。プライベートではいろいろとやらかしているようだが、評論自体は悪くない。
こういったスキャンダルは文学界隈でも芸能界隈でも往々にしてあることだし、今回も、人間性と著作物とは切り離して考える。
……どうしても、「なるほど」「こういう考え方もあるのね!」と感心した直後に、「だが七股だ」という言葉が脳裏を過ってしまうが。
さて、本書で強調されているのは、職や生き方に対する価値観の変化だ。
明治時代から今までは、「単職」つまり一つの会社で定年まで勤め上げることが主流だった。だから、できれば大企業に入った方が良い、と考えられていた(実は生涯年収を考えると中小企業と大企業の格差は小さいのだが、ここでは深く突っ込まない)。
しかし、これからは、「多職」の時代だという。江戸時代までの百姓(=たくさんの仕事・手伝いをする人々)*1のように、一つの仕事に頼り切らない、と言うのだ。百姓を例にすると、彼らは、農業を基本としつつ、草履を編んだり行商に出掛けたり工事現場で人足として働いたりと、農作物と現金収入を得ていた。これと同じように、例えば、50の仕事をしていて三分の一がダメになっても、なんとか食いつないでいけるのではないか、というアイデアらしい。
*1 農民という意味での「百姓」の由来は、姓(かばね)を持つすべての人民をさすことから(ブリタニカ国際大百科事典より)。岡田氏の意図するところは分かるが、不正確である。
グローバル化の時代に、あえてローカル(地元・地縁・血縁)を重視する視点は好ましく思った。
さらに言えば、「グローバル」という分かったようで分からないふわふわした概念よりも、地に足の着いたローカル思考の方が、生物としての人間の生き方として自然なのではないか、と感じた。
岡田氏の掲げる「評価経済」も、互いの顔が認識できるコミュニティでこそ真価を発揮する。日本人は、明治以降の貨幣経済、特に高度経済成長期は、お金と引き換えに人間関係を希薄にして来た。でも、それは日本史上特異な時代・出来事であるという。
私は、都市で生まれ育った。概ね淡白な人間関係のなかで生きてきた。確かに、お金はいろいろなことを引き換えてきた――日々の食事(田舎の親戚の家には当然のように畑がある)の材料、独学心の低下(とりあえず教えてもらおうという安易な考え)などなど。
「商売人―客」という関係だけでとりあえず毎日を過ごせてしまうのだ。家族がいなくても、友達がいなくても、地域に知り合いがいなくても。でも、これって生きてて楽しいのだろうか。逆に、窒息しそうなほど濃密な人間関係の中で暮らすのは、果たして理想的なのだろうか。私たちは、それが嫌で都市に出てきたのではないか?
いずれにしろ、これからまた、人間関係が生きていく上で大切になる時代になっていくのかもしれない。安倍首相や経済界は頭が痛いだろうが、経済指標的に貧しくなって言っても、それがイコール人間的生活の貧しさになるわけではない。『里山資本主義』にも繋がっていく考えだけど、金銭では測れないものが表舞台に姿を現しつつあるのだ。日本はもうすでに明治以降、特にバブル以降の思考を変え、経済構造を根本的に変える時期に来ているのだと思う。その大きな機会が、3.11になるはずだった。はずだったのだが、そう上手くいかないものだ。
……ちなみに。
私はいま生きていて特別楽しいと思っているわけではない。
むしろ、毎日が霞んでいてつまらない。苦しい。
都市の片隅でひっそりと苦しんでいたとしても、誰にも気づかれない。
その恐ろしさを恐ろしいと思えない自分の感覚が、恐ろしい。
BGM
#ロミオとジュリエット
#モザイクロール
年明け早々「七股疑惑」やら何やらでネットで大炎上した岡田氏の著書。サクッと読めて、なかなかに示唆に富んでいる。プライベートではいろいろとやらかしているようだが、評論自体は悪くない。
こういったスキャンダルは文学界隈でも芸能界隈でも往々にしてあることだし、今回も、人間性と著作物とは切り離して考える。
……どうしても、「なるほど」「こういう考え方もあるのね!」と感心した直後に、「だが七股だ」という言葉が脳裏を過ってしまうが。
さて、本書で強調されているのは、職や生き方に対する価値観の変化だ。
明治時代から今までは、「単職」つまり一つの会社で定年まで勤め上げることが主流だった。だから、できれば大企業に入った方が良い、と考えられていた(実は生涯年収を考えると中小企業と大企業の格差は小さいのだが、ここでは深く突っ込まない)。
しかし、これからは、「多職」の時代だという。江戸時代までの百姓(=たくさんの仕事・手伝いをする人々)*1のように、一つの仕事に頼り切らない、と言うのだ。百姓を例にすると、彼らは、農業を基本としつつ、草履を編んだり行商に出掛けたり工事現場で人足として働いたりと、農作物と現金収入を得ていた。これと同じように、例えば、50の仕事をしていて三分の一がダメになっても、なんとか食いつないでいけるのではないか、というアイデアらしい。
*1 農民という意味での「百姓」の由来は、姓(かばね)を持つすべての人民をさすことから(ブリタニカ国際大百科事典より)。岡田氏の意図するところは分かるが、不正確である。
グローバル化の時代に、あえてローカル(地元・地縁・血縁)を重視する視点は好ましく思った。
さらに言えば、「グローバル」という分かったようで分からないふわふわした概念よりも、地に足の着いたローカル思考の方が、生物としての人間の生き方として自然なのではないか、と感じた。
岡田氏の掲げる「評価経済」も、互いの顔が認識できるコミュニティでこそ真価を発揮する。日本人は、明治以降の貨幣経済、特に高度経済成長期は、お金と引き換えに人間関係を希薄にして来た。でも、それは日本史上特異な時代・出来事であるという。
私は、都市で生まれ育った。概ね淡白な人間関係のなかで生きてきた。確かに、お金はいろいろなことを引き換えてきた――日々の食事(田舎の親戚の家には当然のように畑がある)の材料、独学心の低下(とりあえず教えてもらおうという安易な考え)などなど。
「商売人―客」という関係だけでとりあえず毎日を過ごせてしまうのだ。家族がいなくても、友達がいなくても、地域に知り合いがいなくても。でも、これって生きてて楽しいのだろうか。逆に、窒息しそうなほど濃密な人間関係の中で暮らすのは、果たして理想的なのだろうか。私たちは、それが嫌で都市に出てきたのではないか?
いずれにしろ、これからまた、人間関係が生きていく上で大切になる時代になっていくのかもしれない。安倍首相や経済界は頭が痛いだろうが、経済指標的に貧しくなって言っても、それがイコール人間的生活の貧しさになるわけではない。『里山資本主義』にも繋がっていく考えだけど、金銭では測れないものが表舞台に姿を現しつつあるのだ。日本はもうすでに明治以降、特にバブル以降の思考を変え、経済構造を根本的に変える時期に来ているのだと思う。その大きな機会が、3.11になるはずだった。はずだったのだが、そう上手くいかないものだ。
……ちなみに。
私はいま生きていて特別楽しいと思っているわけではない。
むしろ、毎日が霞んでいてつまらない。苦しい。
都市の片隅でひっそりと苦しんでいたとしても、誰にも気づかれない。
その恐ろしさを恐ろしいと思えない自分の感覚が、恐ろしい。
BGM
#ロミオとジュリエット
#モザイクロール
2015年8月1日土曜日
【感想】よく晴れた群青色の空の日に読んで。『ギンカムロ』
美奈川護『ギンカムロ』、集英社、2015年。
花火をめぐる物語。
花火職人という、珍しい、だが夏にぴったりの題材だ。
舞台は、日本の田舎のどこか。たぶん、海はなく、山間に清流が流れる、美しくも閉鎖的な村だ。
「高峰煙火工業」四代目・高峰昇一は、高校卒業以来、東京でフリーター生活を送りつつも、心の奥底では「花火が好き」だという思いを燻らせ続けていた。
彼が小学生だった頃、家業の煙火製造所の爆発事故で両親を亡くしたことがトラウマとなっていて、花火は録画したものを無音で見るだけになっていた。ところが、祖父で二代目の高峰伊織からの呼び戻しをきっかけに、再び花火そのものに向き合うことになる。
伊織の弟子になって七年目になる謎めいた女性・風間絢、お祭り好きのチャラ男・申島健斗、IT系ブラック企業で過労死寸前まで追い詰められて逃げ出してきた年齢不詳の男・井口多聞。
祖父への反発心を覚えつつも、「高峰煙火工業」で働く一癖も二癖もある謎めいた若者たちと共に花火に向き合うことで、花火職人としての自覚と覚悟を固めていく昇一。それは同時に、過去との対峙であり清算であり、祖父に対する真の理解であり、赦しであり、慰めであった。
決して楽しく愉快なお話ではない。くすりと笑えるシーンはあるが(実際のところ、あっけらかんとした申島がいないと重苦しくなりすぎ、彼は良いキャラクターだ)、基本的には静かで、淡々としていて、仄暗い。だからこそ、花火にまつわる色の描写が際立ち、瞼の裏にそのイメージが鮮烈に浮かび上がるのだ。
この物語の登場人物は、みんな心に傷を――いや、闇を抱えている。
事故で両親を亡くした昇一、息子夫婦と孫娘を失くした伊織。
家のプライドに翻弄された挙句「災厄を持ち込んだ」と疎まれた絢、最愛の娘を失くした高良瀬。
彼らの傷を癒し、闇を照らすのが、花火だ。
花火の中でも、タイトルにもなっている「銀冠(ギンカムロ)」の銀は鎮魂の色だそう。
大切な人を失くした彼らだけじゃない。依頼人の若いカップルも、西宮夫婦も、それぞれ花火を上げることに、祈りにも似た気持ちを込めている。
夏至をとっくに過ぎたとはいえ、今の季節、つまり夏は一年で最も生命力の強い季節だと思う。
太陽はギラギラと輝き、蝉をはじめ様々な虫は大合唱し、雑草はものすごい勢いで生い茂り、街路樹の艶やかな葉や花が街に溢れている。街ですらそうなのだ。村にいたら、もっと力強い生命を感じ取れるだろう。
同時に、夏はまた、一年で最も「死」を感じさせる季節だ、と思う。
虫の死骸がそここに転がり落ち、水溜りは腐敗して濁っている。伸びすぎた樹木が無造作に切られていることもある。
そして、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、第二次世界大戦敗戦。
「死」を連想する機会は、冬より夏の方が多い。唐突に、そんなことを考える。普段はなんとなく隠れていたり隠されていたりする「死」が、白日ならぬ炎天下に晒されるのだ。
最初から最後まで「死」が陰に陽にちらつく物語を読みながら、いったい日本人にとって夏とはどういう季節なんだろう、と思った。生を楽しむ季節なのか、死を悼む季節なのか。
両方だろう、と思う。
生と死は隣り合わせなのだから。
集英社BOOKNAVI
amazon.co.jp
花火をめぐる物語。
花火職人という、珍しい、だが夏にぴったりの題材だ。
舞台は、日本の田舎のどこか。たぶん、海はなく、山間に清流が流れる、美しくも閉鎖的な村だ。
「高峰煙火工業」四代目・高峰昇一は、高校卒業以来、東京でフリーター生活を送りつつも、心の奥底では「花火が好き」だという思いを燻らせ続けていた。
彼が小学生だった頃、家業の煙火製造所の爆発事故で両親を亡くしたことがトラウマとなっていて、花火は録画したものを無音で見るだけになっていた。ところが、祖父で二代目の高峰伊織からの呼び戻しをきっかけに、再び花火そのものに向き合うことになる。
伊織の弟子になって七年目になる謎めいた女性・風間絢、お祭り好きのチャラ男・申島健斗、IT系ブラック企業で過労死寸前まで追い詰められて逃げ出してきた年齢不詳の男・井口多聞。
祖父への反発心を覚えつつも、「高峰煙火工業」で働く一癖も二癖もある謎めいた若者たちと共に花火に向き合うことで、花火職人としての自覚と覚悟を固めていく昇一。それは同時に、過去との対峙であり清算であり、祖父に対する真の理解であり、赦しであり、慰めであった。
決して楽しく愉快なお話ではない。くすりと笑えるシーンはあるが(実際のところ、あっけらかんとした申島がいないと重苦しくなりすぎ、彼は良いキャラクターだ)、基本的には静かで、淡々としていて、仄暗い。だからこそ、花火にまつわる色の描写が際立ち、瞼の裏にそのイメージが鮮烈に浮かび上がるのだ。
事故で両親を亡くした昇一、息子夫婦と孫娘を失くした伊織。
家のプライドに翻弄された挙句「災厄を持ち込んだ」と疎まれた絢、最愛の娘を失くした高良瀬。
彼らの傷を癒し、闇を照らすのが、花火だ。
花火の中でも、タイトルにもなっている「銀冠(ギンカムロ)」の銀は鎮魂の色だそう。
大切な人を失くした彼らだけじゃない。依頼人の若いカップルも、西宮夫婦も、それぞれ花火を上げることに、祈りにも似た気持ちを込めている。
夏至をとっくに過ぎたとはいえ、今の季節、つまり夏は一年で最も生命力の強い季節だと思う。
太陽はギラギラと輝き、蝉をはじめ様々な虫は大合唱し、雑草はものすごい勢いで生い茂り、街路樹の艶やかな葉や花が街に溢れている。街ですらそうなのだ。村にいたら、もっと力強い生命を感じ取れるだろう。
同時に、夏はまた、一年で最も「死」を感じさせる季節だ、と思う。
虫の死骸がそここに転がり落ち、水溜りは腐敗して濁っている。伸びすぎた樹木が無造作に切られていることもある。
そして、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、第二次世界大戦敗戦。
「死」を連想する機会は、冬より夏の方が多い。唐突に、そんなことを考える。普段はなんとなく隠れていたり隠されていたりする「死」が、白日ならぬ炎天下に晒されるのだ。
最初から最後まで「死」が陰に陽にちらつく物語を読みながら、いったい日本人にとって夏とはどういう季節なんだろう、と思った。生を楽しむ季節なのか、死を悼む季節なのか。
両方だろう、と思う。
生と死は隣り合わせなのだから。
集英社BOOKNAVI
amazon.co.jp
登録:
投稿 (Atom)